食育のチカラ

東京農工大学農学研究院(環境教育・社会教育)
教授 朝岡 幸彦

vol.1

「アンパンマンの食育」

 食育とは、「食べる」ことを通して、「学ぶ」こと、「育てる」こと、です。
 私たちは、毎日、当たり前のように「食べて」います。なぜ「食べる」のでしょうか。それは、食べなければ死んでしまうからです。「食べる」という行為には、じつにいろいろな意味があります。こうした多様な意味の一つとして、「学ぶ」「育てる」という役割が「食べる」という行為に含まれているのです。

 さて、ここに奇妙なヒーローがいます。なんと、じぶんの顔をちぎって食べさせてしまうのです。日本の子どもたちのほとんどが愛読している、アンパンマンのことです。
 作者・やなせたかしには、アンパンマンを絵本にするにあたって、一つのこだわりがありました。

この最初の絵本で、僕が描きたかったのは、顔を喰べさせて、顔がなくなってしまったアンパンマンが空を飛ぶところだ。P195(やなせたかし、アンパンマンの遺書、岩波書店、2013年)

 絵本としてアンパンマンがはじめて登場したのは、フレーベル館の月刊保育絵本のひとつ『キンダーおはなしえほん〔1973年10月号〕』です。砂漠で飢えている旅人に顔を食べさせたためにエネルギーを失い、やっとの思いで飛び去っていく姿。

正義のために、飢えた人のところまで空を飛んで行って、自分の顔をちぎって食べさせる。だが、そうすることで、アンパンマンはエネルギーを失って失速する。(やなせたかし、明日をひらく言葉、PHP、2012年)

 なぜ、アンパンマンはじぶんの顔を「食べさせ」なければならないのでしょうか。それは、アンパンマンが“正義のヒーロー”だからだ、ということになります。最初のアンパンマンは、じつは“人間”でした(月刊誌 PHP、1969年10月号)。世界中の飢えた子どもたちに、あんパンを届けるちょっと太ったヒーローで、最後は許可なく国境を越えたために、撃ち落とされてしまうという物語なのです。

1960年代に生まれたアンパンマンを、1973年に子ども向けの絵本にするとき、一番描きたかったことがある。「正義を行おうとすれば、自分も深く傷つくものだ。でも、そういう捨て身、献身の心なくして、正義は決して行えない」ということだ。(やなせたかし、明日をひらく言葉、PHP、2012年)

 人間として生まれたアンパンマンは、正義を行うために深く傷つく、その究極の表現として自らを「食べさせる」のです。そのためには、アンパンマンの顔は、あんパンでなければならないのでしょう。ですが、「正義」とは、それほど分かりやすく、単純なものではありません。戦場体験をもつやなせたかしには、それがはっきりとわかっていたに違いありません。初出の絵本「アンパンマン」が出版社に不評であったため、やなせたかしは自らが編集・発行する『季刊 詩とメルヘン』に「熱血メルヘン 怪傑アンパンマン」として連載を始めました。

しかし、正義のための戦いなんてどこにもないのだ。 正義は或る日突然逆転する。 正義は信じがたい。 ぼくは骨身に徹してこのことを知った。これが戦後のぼくの思想の基本になる。 逆転しない正義とは献身と愛だ。それも決して大げさなことではなく、目の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること。これがアンパンマンの原点になるのだが、まだアンパンマンは影もかたちもない。P70(やなせたかし、アンパンマンの遺書、岩波書店、2013年)

 その後、出版社に不評だったアンパンマンは、保育園や幼稚園で読まれ続けて、じわりじわりと大人気の絵本になりました。しかし、アンパンマンを教育現場に受け入れるには、大きな障害がありました。それは、「自らの顔をちぎって食べさせる」という、あの行為です。

当時、「顔を削るのはやめてください。残酷です」という抗議をもらいましてね。「あんパンが食べられなかったら、それはまずいパンです。あんパンが食べられることは当然です、少しも残酷なことではありません」と、すぐに手紙を書いて出しました。いまはそういうことを言う人はいませんけど、始めの頃はそういう反応でした。P53(やなせたかし、何のために生まれてきたの?、PHP、2013年)

 ところが、オトナには躊躇される自らの顔を食べさせるというアンパンマンの行為は、子どもたちには新鮮で、素直に受け入れられました。

いま、大学生や社会人になっている人が「幼稚園の頃にアンパンマンを読んでました」と言うので、どこが面白かったかを聞くと「アンパンマンが自分の顔をあげるところです。すごいショックを受けて、それがずっと心に残って、非常にひきつけられました」って、ほとんどの人はそう言ってくれます。P53(やなせたかし、何のために生まれてきたの?、PHP、2013年)

 さて、アンパンマンの物語は、子どもたちに多くの「学び」をもたらします。それは、アンパンマンの顔があんパンであり、その顔を「食べさせる」という行為があるからだとは考えられないでしょうか。アンパンマンのテーマソングを思い出してください。

なんのために生(う)まれて
なにをして生(い)きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!

 これほど深い問いかけがあり、これほど深く考えなければならないことを、子どもたちはアンパンマンから素直に受けとめているのです。

朝岡幸彦(あさおか ゆきひこ / 白梅学園大学特任教授/元東京農工大学教授)