食育のチカラ

東京農工大学農業研究院(環境教育・社会教育)
教授 朝岡 幸彦

vol.7

美食がヒトを進化させた ~「食べる」という行為の意味④

 あまり知られていませんが、脊椎動物は進化とともに頭の骨(頭蓋骨)の数を減らしてきました。私たちヒトの頭を形成する骨(頭蓋骨)の数は、15種類23個の骨で構成されています。 おそらく、開け閉めできる蝶番付きの口をつくる時に使ったり、その蝶番を耳小骨に転用するなどして、頭蓋骨を次々に使い回し、転用したせいだと思います。  神谷敏郎さんは、いろいろな個体の発生初期(胚の段階)はかなり似ているものの、その後の「食性」によって発育時に大きな違いが生まれてくると述べています(骨と骨組みのはなし、岩波ジュニア新書、2001年)。
 何をどのように「食べる」かによって、頭蓋骨の形も変化します。私たちヒトに近い類人猿、とくにゴリラ(壮年期の雄)には立派な頭冠があります。なぜこのような隆起が必要なのかというと、隆起の両側にできる浅くて広いくぼみ(側頭窩)に大きな側頭筋が張り付いて下顎骨の筋突起まで伸び、下顎を強く引っ張り上げます。このたくましい側頭筋咬筋(頬骨弓から下顎角側面についている)が協力することで大きな「噛む力」を手に入れているのです。こうした特徴はかつての人類にもあり、アウストラロピテクス・ロブストゥスの棘状稜(頭冠の人類学的な用語)が有名です。
 大きな噛む力を生みだす頭冠や棘状稜の発達は、大きな臼歯の存在とともに、脳の発達を阻害することになります。動物の脳の発達を比較するときにしばしば使われる脳頭蓋(脳)と顔面頭蓋(顔)の比率を比べると、ヒトが4:1、ゴリラが1:1、イヌが1:3、ウマが1:5となります。大きな噛む力を保証するためには、大きな下顎を持つことで顔が大きく(長く)なるだけでなく、大きな側頭筋が脳の発達を抑制してしまうと考えられるのです。
 原島博さんと馬場悠男さんが書いた『人の顔を変えたのは何か』(KAWADE夢新書、1996年)では、ピテカントロプス8号(ジャワ原人)と現代人の頭蓋骨が詳しく比較されています。

  コメカミの部分の骨のくぼみ(側頭窩)は前方だけでなく後方も深いので、そこに入る咀嚼筋である側頭筋も強力だったことがわかる。おそらく現代人の3倍は強力だった。加えて、頬骨が出っ張っていることから、そこに付く咬筋もきわめて大きく強かったはずだ。頭蓋骨自体は大きいが、骨が厚く、現代人の2倍の約1センチもある。したがって、頭が大きいわりには脳容量は少なく、1000ミリリットルほどしかない。しかし、それはチンパンジーの2倍以上であり、現代人の4分の3だから知能は進んでいたはずである。
 現代人と比べると歯冠が大きいだけでなく、それ以上に歯根が頑丈な点が目立つ。歯冠の高さは、むしろ現代人より低いくらいだ。そのことからわかるのは、ピテカントロプスの歯は、すり減らないようにすることよりも、かむ力を出すために適応していたということである。というのも、ピテカントロプスの暮らしていたスンダランドは森が多く、食べ物に砂が混じるようなことが少なかったらしいことと関係している。  

(原島博・馬場悠男、人の顔を変えたのは何か、KAWADE夢新書、1996年)

 このように噛む力を大きくするためには大きな側頭筋や咬筋、歯冠が必要であり、さらに頭蓋骨が頑丈になることで、脳の入る容量を小さくしてしまうのです。
 もっと高カロリーで消化・吸収しやすい食べ物があれば、大きな咀嚼筋も必要なくなるはずです。W・R・レナードさんは、『美食が人類を進化させた』(2003年)で、約170万年前のホモ・エレクトスの脳が急速に大きくなっていることに注目しています。人類が約400万年前の初期アウストラロピテクスの時代に直立二足歩行をほぼ完成させていたことは、脳の大型化にとって大きな条件の一つであったと考えられています。大きな脳を載せて身体のバランスを保つために直立二足歩行が必要であったばかりでなく、より栄養価の高い食料を求めて長い距離を「ゆっくり移動する場合には人間の二足歩行は四足歩行より効率がよい」のです。実際に、脳は極めて多くのエネルギーを消費する器官であり、単位重量当たりで安静時に筋肉組織の16倍も多くのエネルギーを消費します。したがって、脳が大きいほど基礎代謝量の総エネルギー消費に占める割合は高くなり、哺乳類一般が3〜5%、普通の霊長類が8〜10%であるのに対して、ヒト(成人)は20〜25%に達します。

  W・R・レナード『美食が人類を進化させた』(日経サイエンス、2003年3月号)より引用   大昔の祖先たちの脳がどれくらいのエネルギーを消費したかを推測してみた。計算では、体重35kg、脳容量450ccの典型的なアウストラロピテクスは、安静時に全エネルギーの11%を脳に費やしていた。一方、体重55〜60kg、脳容量900ccのホモ・エレクトスは、全エネルギーの17%、つまり1日に必要な1500kcalのうち260kcalを脳に当てていた。

(W・R・レナード、美食が人類を進化させた、日経サイエンス、2003年3月号)

 問題は、どのようにしてエネルギー消費の大きい脳を進化させることができるようになったのか、ということです。脳容積の一般的な発達傾向を見ると、400万年前の初期アウストラロピテクスの400ccからアウストラロピテクス・ボイセイの500ccまで200万年の間にわずか100ccしか増えていないのに対して、200万年前のホモ・ハビリスの600ccからホモ・エレクトスの900ccまで30万年間に300ccも増大しているのです。その後の170万年の間に脳はさらに450cc大きくなっていることを考えると、ホモ・エレクトスが生まれる段階で人類に大きな変化が起こったと考えられます。

 初期人類が脳の消費エネルギーを補えるだけの、高カロリーで栄養に富んだ食料を入手できるようになるまで、脳の増大は起こらなかったはずだ。

(W・R・レナード、美食が人類を進化させた、日経サイエンス、2003年3月号)

 霊長類全般の傾向として、脳の大きな種ほどカロリーに富んだ食事をとっているといわれています。100g当たりの熱量は、肉が200kcalであるのに対して、果実は50〜100kcal、葉っぱは10〜20kcalに過ぎません。脳容量の急速な増加が起こらなかったアウストラロピテクス類の頭骨と歯は、ほぼ例外なく硬くて栄養価の低い植物性食物に適した形をしています。ここからさらに、繊維の多い植物をすりつぶすために際立った適応を遂げた頑丈型アウストラロピテクスも生まれています。ところが、華奢型アウストラロピテクスから進化したホモ属の初期人類の頭骨は、植物性食物の摂取を減らして動物性食物の摂取を増やしていったことを物語っているのです。ホモ・エレクトスはまさに人類史上初めて狩猟採集生活を発達させた人類であるといえるかもしれません。

 脳が最初に発達し始めると、食物の改善と脳の発達には相乗効果が働いたのだろう。大きな脳はさらに複雑な社会行動を生みだし、それが食物の獲得戦略を進歩させ、食物の質を向上させ、結果としてさらなる脳の進化をもたらした。

(W・R・レナード、美食が人類を進化させた、日経サイエンス、2003年3月号)

 栄養価の高い食物を手に入れるために、もう一つ見落とせない変化があります。火を使用した調理技術の獲得です。「料理の発明」と考えることができるかもしれません。R・ランガムさんらは、最初に火の使用を始めたのが180万年前のホモ・エレクトスであり、根茎類のような植物性食物を調理することで歯が小さくなり脳を大きくできたと考えています。確かに、生のままでは消化できない根茎類のでんぷんも、加熱調理すれば軟らかく消化できるようになります。明確な証拠はないものの、火を使用したある種の調理技術が、ヒトの脳を大きくする大切な要因であったと考えられるのです。

朝岡幸彦(あさおか ゆきひこ/東京農工大学)