食育のチカラ

東京農工大学農業研究院(環境教育・社会教育)
教授 朝岡 幸彦

vol.11

農業が育てる力 ~食育と地域づくり①

 いまの「子どもには自然が足りない」という話を聞いたことがあるでしょうか。国立青少年教育振興機構の実態調査(2010年、図1)では、「キャンプをしたこと」「大きな木に登ったこと」「川や海で貝を取ったり魚を釣ったりしたこと」「チョウやトンボ、バッタなどの昆虫をつかまえたこと」「海や川で泳いだこと」などの自然体験をほとんどしたことがない子どもが、以前と比べて増加していることが問題になりました。しかし、こうした自然体験は農山村で暮らすかつての子どもたちには身近な生活環境の中で行われるものであり、自然体験の不足はそのまま農業・農村と子どもたちとの接点が失われていることを意味しています。
 食育は、勤労体験学習、農業教育、消費者教育、生活教育、学校給食などに関わる農業体験学習のうえに成り立っています。学校でも農業体験学習が積極的に位置づけられ、文部科学省と農林水産省が連携して作成した『子どもたちの農業体験学習の現状と課題』(農林水産省女性・就農課、2004年)は、「農業を職業としている人たちの本物の農業に取り組む厳しさと楽しさの両方に触れること、彼らの人生観に耳を傾けること」が子どもたちの人格形成に役立つと述べました。
 そのためには、まず「農業がどのような教育的価値をもっているのか」を明らかにする必要があります。『農村的自然のもつ教育力』(農村生活総合研究センター、1989年)は、3年間にわたる「農村のもつ教育的機能の諸相に関する研究」の成果であり、児童の体力・運動能力、生活感・自然観、遊びを中心とした自然との関わりなどの基礎的なデータの収集と分析をもとに、「農村の自然が人間殊に心身の成長期にある児童に及ぼす影響」を検討したものです。  これらの結果を踏まえて「農村的自然のもつ教育的側面」を考察し、それは「児童の心理的・知的・身体的な三側面の均衡のとれた発達、換言すれば『心・知・体の統一的発達』」を保証するものであると指摘しました。
身体面への影響として、「現代では農山村において都市より児童の体力が総てにまさっているという先入観はもちにくい」としながらも、「地域の豊かな自然を児童の身体的発達に活用しようという、家庭・学校・地域社会の配慮があれば、遊び・正課体操・地域行事などを通して農山村の方がはるかにその機会や空間、素材に恵まれている」と結論づけました。
生活技術・知識の習得という側面では、「農村的自然と接触する形態の遊びを通して、彼らなりの知的刺激を自然から受けたり、あるいは年長児童や成人から自然に関するさまざまな基礎的知識や基礎的技術を伝承している」と述べています。
意識・パーソナリティへの影響では、農村部と都市部の児童へのアンケート調査をもとに、自然そのものについて都市部の児童が「絵はがき」的にとらえる傾向があるのに対して、農村部の児童は自然を利害関係と絡む生活空間とみなす傾向が強い、農村部の児童のほうが相対的に扶助的・自律的傾向が強い、と指摘しています。
 七戸長生らの『農業の教育力』(農山漁村文化協会、1990年)は、高度経済成長や列島改造以降の「高度工業化の波が全国に広がり、伝統的な農業の営みを理由もなしに軽蔑し、問答無用で押し崩してきた動き」に心を痛め、こうした動きに抗して<農業・農村の教育効果>に関心が寄せられてくるようになった状況に、農業経済学者たちが積極的に応えようとしたものです。そして、それは「一人ひとりの人間についていえば、農耕に関わることによって知らず知らずのうちに人間らしい感性やものの考え方を教え育て、調和のとれた行動パターンを身につけるように育て上げていく能力があるというように表現できる」という問題意識に裏付けられたものでもあります。
 七戸は、「現代日本を代表するオピニオンリーダー」と目される人びと635名へのアンケート調査(1989年)の結果から、「(農業がもっている)人間を育て、教え、鍛錬してくれる役割」についてまとめました。

 第1に、農業の対象が生きものにほかならないため、それら生きものに固有な生長曲線のパターン(いわゆる「序・急・破」のテンポで生命現象が展開していること)を大きく人為的に変えることがほとんど不可能であることから、「文字どおり辛抱強く努力し、誠実に忍耐を重ねるという『待つ心』を前提として」おり、生命現象への畏敬の念とともに「人間そのものも、そのような大自然の中の一員として共に生きているのだ、という自然観が養われる」と考えます。
 第2に、こうした生きものの生育、生長、成熟の過程に向き合う中で私たちの観察力が触発され、研ぎ澄まされていくのであり、こうした「農の営み」が求めている基本的な資質から「生き物を愛し、いたわるという自発的なインセンティブに根ざす(農業の)観察力の練磨」が生まれると指摘しました。

*図2 田んぼで除草作業をする子どもたち(あばれんぼうキャンプより)

 永田恵十郎は「農業の教育力を担う農民像」とは、「鋭い自然観察力と必要な科学的知識を持っており、それらを自らの労働に基づく判断で主体的に総合化して農業生産—『農の営み』につなげていく優れた力量をもった“百姓”だった」と規定します。しかも、彼らは「人間や自然と積極的、主体的にかかわりあう人間としての活力を持っているという意味で、すぐれた教育力の担い手」だと述べています。
 陣内義人は、農村が持つ「地域の教育力」に注目します。そのカギとなるものは、「地域としてのまとまりのなかでどのような社会的規範をつくり上げているか」ということであり、それを生みだす「子供たちの生活体験」の豊かさであると、以下のように指摘しました。

  農村では生産(労働)と生活が同一の地域圏のなかで行われてきたことにもよろう。またその生産と生活は自然とより密着して行われるものであるため、自然の変動とリズムによって律せられることが多い。農作業の運行、ひいてはそこでの生活そのものが自然のリズムにあわせた人間労働であるといってもよいほどである。生産と生活は家族を単位としてそれぞれ独立して行なわれるが、自然の変動やその管理は個々の農家の力量をはるかに上回る場合も多い。それぞれの技術の段階にあわせて、人間の知恵と工夫を結集しながら地域の協同システムを通じてそれをこなし、しのいできた。  


 「農村的自然のもつ教育力」と「農業の教育力」とは、まったく対照的な方法と視点から分析されています。前者は農村的自然が児童に及ぼす教育的影響を都市と農村とのアンケート調査結果などの比較を主な方法として明らかにしようとしているのに対して、後者は基本的には農業経済学者たちの知識と経験に基づいたそれぞれの視点から農業の教育力を考察しようとしたものでした。
 これらの試みから明らかなことは、①都市と農村との生活環境の差が縮小する中で次第に農業・農村の教育的機能が弱まりつつあること、②とはいえ農村に存在する豊かな自然環境・協同性や自然と関わりながら進められる「農の営み」から子どもたちは多くの影響を受ける可能性をもっていること、③農業の教育力を担う農民像の変化や農業・農村の現実からも学ぶ必要があること、などです。

朝岡幸彦(あさおか ゆきひこ/東京農工大学)