食習慣を変えることってムズカシイ

東京農業大学 応用生物科学部 栄養科学科  松永  洋明


アドバイザー:東京農業大学 応用生物科学部 栄養科学科 保健栄養学研究室 日田 安寿美


最近、大人にも食育が必要だと言われています。食育というのは非常に幅広く、食文化のこと、食品の生産や流通のこと、食品の安全性のこと、個人の食習慣のこと等々、たいへん多岐に渡ります。ですが、大人の食育と言ったら、目下のところメタボや生活習慣病から抜け出すための、もしくはそうならないための食習慣の改善に焦点が当てられていると思います。そうした改善点を自覚している人、自覚していてない人、自覚しているけど改善できない人など、様々だとは思いますが、食習慣を変えるというのは本当に難しいことだと思います。


びわ

食べるということは毎日のことで、食習慣というものは毎日々々コツコツ積み重ねられて培われてきたわけです。そのように形作られた食習慣を変えるというのは、まさに至難の業だと思います。習慣というものはほぼ無意識に近い行動です。だから、直したければ常に意識していないとそう簡単には変えることができないものです。話は違いますが、ズボンを穿く時にはどちらの足から入れますか? それを反対の足から入れてみてください。すごく違和感があると思います。普通、違和感があることをやりたいとは思わないでしょう。ですが、習慣を変えるにはそういった違和感を乗り越えなくてはなりません。




しかも食事というものは多くの人にとっては楽しみのひとつでもあります。その度にあれやこれや意識しなくてはならないとなると、その楽しさも半減してしまいます。おいしい食事ならば尚更、そんなことは意識せずに存分に楽しみたいというのが普通ではないでしょうか。
また、周囲の環境も食習慣を変える妨げになっていると思います。巷には24時間営業のコンビニやレストランがあり、何でも置いてあるスーパーがあり、お金さえ出せばそれなりに自分の食べたいものは何時でも手に入ります。売り切れで我慢することも少なく、たとえ売り切れであっても他の商品で済ますことができます。


惣菜コーナー

今の20代30代の方々は、子供の頃からこういった食環境が当たり前だったと思います。このような環境の中で育った方々は食べることを我慢するという経験もしづらかったのではないかと思います。また、食べることを我慢しなくてはならないという経験をした世代の方々も、水は高きより低きに流れるが如く、今ではこういった食環境にどっぷり浸かってしまってその恩恵を享受しているわけです。このように何時でも食べたいものが手に入る食環境が、食習慣そのものに組み込まれてしまっているのではないでしょうか。




次世代への影響は…

大人の食育は次世代のためにも必要なことだと言われています。親の食習慣はその子供に少なからず引き継がれるはずです。基本的には親が子供に食事を提供するわけですから、望ましい食習慣だけでなくそうでない面もひっくるめて親から引き継ぐのは当然のことでしょう。
それからもうひとつ気になることがあります。それは子供の食育でもあるわけですが、食事の基本的なマナーや箸の持ち方などを学校で教えているということに関してです。全ての学校で実施しているわけではないと思いますが、本来そういったことは学校で教えることなのでしょうか? 私に関して言えば、こういったことは家庭の食卓で親兄弟から口酸っぱく言われたものです。兄から「おまえ箸の持ち方変だよ」と言われて、何くそと思って直したことを覚えています。しかし今は学校に任せればいいと考える方もいるのでしょうか。そうすると子供たちも、マナーや箸の持ち方は学校で教わるものだと思ってしまいます。さらにその子供たちが親になった時に、子供の躾は学校に任せるのが当たり前だと考えるようになってしまうと思います。今の世の中「こういった躾は親御さんがしてくださいね」という食育も必要なのでしょうか?
ここまで、大人の食育について私の考えを述べました。皆さんはどのようにお考えになりますか。


はしとはし置き

食育フェアに出店しましたが…

ここからちょっと話題を変えて、大人の食育にチャレンジしたことについて述べます。私たちは授業のグループワークの中で出てきたアイディアの一部を昨年の「東京都食育フェア」に出店することで、この大人の食育というものにチャレンジしました。いきなり「食習慣を変えてもらう」ところまでもっていくのは難しいので、「まずは食習慣を見直してもらうきっかけ作りができれば」、というコンセプトで出店しました(主な対象は成人男性)。運営スタイルとしては、食や運動について5~6種類のリーフレットを作成してそれを配布し、興味を持ってくれた方にはブース内で説明するという形にしました。


授業の様子

毎年食育フェアにはとても多くの方が来場します。私たちのブースの前の人通りもかなりのものでした。しかし、私たちのブースに興味を持って立ち寄ってくれた方は、残念ながら少なかったと思います。リーフレットは配布すれば受け取ってもらえましたが、どうも手ごたえを感じることができませんでした。配布したリーフレットはどれだけの方が真面目に読んでくれたのでしょうか? 今さらながら、自分たちがお客さんの立場だったら立ち寄るだけの価値があったのかと考えると、ちょっと疑問を感じます。それが正直な気持ちです。もらったリーフレットも自分たちだったらどうするでしょうか? しばらくは机の上に置いておくかもしれないですが、真面目には読まず、そのうちどこかに埋もれてしまうというのがオチのような気がします。


食育フェアの様子1

この食育フェアでは、まずは来場者に立ち寄ってもらわなくてはお話にならなかったわけです。そのためには来場者のニーズや今の関心事をもっと調査すべきであったと思います。何かを体験できるアトラクション的な要素や、ゲームなどのアミューズメント的な要素があってもよかったのかもしれません。来場者を引き付けるものは「食」そのものである必要はなかったと思います。来場者と「食」とを間接的に結び付けてくれるものであってもよかったのだと思います。とにもかくにも特に成人の場合は、自分のニーズに合わないもの、関心の薄いものには見向きもしない、ということを改めて痛感した食育フェアでした。


食育フェアの様子2

今後も模索が続く

ここまで食育の難しさを強調するような話ばかりになってしまいましたが、食育を進める側の人間はどのように食育を進めたらよいのかを常に悩んでいます。大人たちは今さら食育なんて自分には必要無いと思うのならばそれでもよいわけです。それは食習慣の改善についても同じことが言えます。食習慣を変えた方がその人にとって望ましいとしても、それを変えたくなければ変えなくてもよいのです。この互いの意識のずれとでも言うべきスタンスの違いが、大人の食育の難しさの原因だと思います。ただ難しさを嘆いていても仕方ありません。正解は無いのかもしれませんが、今後も大人の食育について模索を続けなくてはならないと思います。




最後に

最後に私自身の食習慣改善について紹介して、このお話を締めようと思います。その前に、ひとつふたつ申し上げておきたいことがあります。まずは、ある習慣を新しく身に付けたいならば、「~でなければならない」とか「~であるべきだ」といった考え方、つまり固定観念やこだわりを捨てた方がよいということです。もうひとつは、新しいことを始める時にいきなり高いハードルを設定しない、むしろ自分ができると思えることより低めに設定するということです。




私は、「ここのところ野菜が足りないな」と思ったら、昼食用に野菜を持っていきます。それは、適当に千切りしたキャベツ、適当にちぎったレタス、プチトマト2~3個を、ジッパーの付いた食品保存用の小袋(○ップロック)に詰めるだけ。それをお昼ごはんの時に大学の研究室にある食器に盛って食べます。本当はちゃんと調理して弁当箱に詰めて持っていくのが適切なのでしょう。しかし、時間を掛けずに簡単にできて、野菜不足を少しでも解消しようと考えたら、私にはこういう形が適当でかつ私にできる範囲だったのです。毎日々々やっているわけではないのですが、時間も掛からず簡単なのでやろうと思ったらすぐできるのです。別に弁当箱にきれいに詰めなくてもいいのです。


トマト

会社勤めの方(特に弁当やパンを買う方)ならば、御自分の机の引き出しに平皿1枚ぐらいは忍ばせておけると思います。少量パックのドレッシングも一緒に入れておけばベターかと思います。ただ衛生面には気を付けたいところです。野菜を入れる小袋よりももう一段小さめの小袋に保冷材を入れて、それを野菜と共に野菜用の小袋に入れるといいでしょう。あと職場に冷蔵庫があればお昼まで入れておきたいところです。




いかがですか? 参考にして頂ければ幸いですが、人それぞれその人に合った生活習慣というものがあります。誰にでも受け入れられる万能な生活習慣は無いと思います。だから、「あーでもない、こうでもない」と試行錯誤して、その人自身がやりやすい形を見出していくことが肝要かと思います。思い立ったが吉日です。何かを始めようと思ったら尻込みせずにやってみるといいと思います。そこから何かが変わる可能性があります。



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