vol.2
ドラえもんは「食べない」、カオナシは「食べる」
なんとも不思議なことですが、藤子・F・不二雄が生んだ人気漫画の「ドラえもん」は、じつは「食べない」のです。「そんなバカな!ドラえもんの大好物は‘どら焼き’と決まっている」と思うでしょう。確かに、ドラえもんがどら焼きを美味しそうに食べるシーンは漫画でも、アニメでも登場します。居候先の野比家では、ドラえもんものび太くんの家族と一緒にご飯を食べていたような気もします。しかし、ドラえもんは「食べない」のです。正確には、「食べる必要がない」のです。
作者の藤子・F・不二雄が自ら選んだ作品を収録して第45巻(1996年)まで刊行された、<てんとう虫コミックス>(小学館)の第11巻173ページに掲載されている「ドラえもん大辞典」をよく見ると、左の胸のあたりに「原子ろ」と書いてあります。
原子ろ 何を食べても原子力エネルギーになる。
何とも都合の良い原子炉ですが、原子炉である限りは核分裂物質(普通はウラン235やプルトニウム239)が中性子を吸収して発生する核分裂連鎖反応を制御してエネルギーを取り出すシステムに違いありません。なぜ、原子炉でエネルギーを取り出すのか。それは核分裂反応によって莫大なエネルギーが効率よく取り出せるからです。核分裂反応の前と後とで原子核の質量が小さくなる(質量欠損)ことで、
あの有名なアインシュタインの公式 E=mc²
で求められる原子核内部の結合エネルギーが解放されるのです。1グラムのウラン235が全て核分裂を起こすと8.2×1010J(ジュール)のエネルギー(石炭3トン、石油2000リットル分)を生み出すのです。
つまり、ウラン235を1グラム含んだ「核分裂物質どら焼き」を1個食べると、ドラえもんは何ヶ月も(ドラえもんのエネルギー効率がわからないので適当ですが…)どら焼きを「食べる必要がない」のです。もちろん、ドラえもんが人間と同じどら焼きを食べているとすると、どのように核分裂物質を補充しているのかはわかりませんが…。
さて、いずれにせよドラえもんは「食べなく」ても良いのです。しかし、なぜ必要もないのにドラえもんは「食べる」のでしょうか。そもそも生物である私たち人間にとって「食べる」という行為は、「生きる」ためのエネルギーを確保するためだけの行為なのでしょうか。
ここに、どうしても「食べる」必要のある妖怪がいます。ジブリ作品の映画『千と千尋の神隠し』(2001年)に登場するカオナシという化け物です。映画を見た人ならば誰でも気づくようにカオナシは、唯一の友と思われる千尋にすらまともに話しかけることのできない口下手です。口下手どころか、まともに言葉らしい言葉をほとんど発していません。口がきけないのかといえばそうでもありません。面白いことに、誰かを「食べる」と食べた相手の声色を使って話すことができるようになるのです。
このカオナシはとても変わった胃袋(正確には喉頭リンパ総管)を持っています(図1)。ジブリはカオナシの詳細を公開していませんが、武村政春『ろくろ首の首はなぜ伸びるのか』(新潮新書、2005年)にはカオナシの解剖図が収録されています。
カオナシBicanalis imitatesは、おそらく現存するどの部門にも属さない生物であり、カンブリア時代に爆発的な進化を遂げ、その後絶滅したと思われた「二腔動物門Rhylum Ranavora」に属すると考えられている。二腔動物門に属する生物の特徴は、発生過程において生じる消化管が、他の門の生物では1本であるのに対し、2本平行して発生する点である。発生の過程で、2本の「原腸」のうち1本からは他の生物と同様に消化管が形成されていくが、もう1本からは二腔動物門の最大の特徴である「喉頭リンパ総管」が形成されていく。成長を遂げたカオナシの喉頭には、気管と消化管以外に、喉頭リンパ総管への入り口が大きく口を開いているのである。…カオナシは、抗体を使って飲み込んだ相手の「声帯の型」を取るのである。
その型に自分の気管から分泌される粘液を流し込み、それを固めて自分の「声帯」を作り上げるのだ。
(武村政春、ろくろ首の首はなぜ伸びるのか、新潮新書、2005年)
つまりカオナシは、エネルギーを手に入れるために「食べる」消化管とは別に、声を手に入れるために「食べる」喉頭リンパ総管という特殊な器官をもっているのです。カオナシの声のために「食べられた」かえる男や兄役は消化されずに、後でちゃんと吐き出されて蘇生しているのです。ここから、カオナシは少なくとも二種類の食べ方をしていることがわかります。命をつなぐための「食べる」という行為とコミュニケーションするための「食べる」という行為です。
「食べる」という行為には、生きるためという意味のほかに、コミュニケーションするためという意味があることがおわかりいただけたでしょう。ドラえもんのようなロボットには、人間社会に溶け込み、人間と同化するために「食べる」という行為が不可欠であったとは考えられないでしょうか。
このように考えると、ロボットであってもドラえもんに大好物の食べ物があって良いような気がします。横山泰行『ドラえもん学』(PHP新書、2005年)によれば、ドラえもんは好物のどら焼きを「食べない」と深刻な禁断症状を起こすそうです。さらに、どら焼きの味覚に絶対の自信を持っており、和菓子屋の主人に「これからは、おいしいどら焼きを作るために努力する」ことまで約束させるのです。食べ物を単なるエネルギー源としてのみ考えれば、ドラえもんがどら焼きにこだわる理由も、まして美味しさにこだわる理由もありません。ドラえもんにとってどら焼きは人間と仲良くする手段という意味を超えて、もはやドラえもんの人格(?)の重要な要素になっているようにも思われるのです。
「食べる」という行為を通して、ドラえもんは人間化し、のび太くんをはじめとした私たち人間とコミュニケーションしているのではないでしょうか。