vol.39口いっぱいに広がるチョコレートの甘さ ~食と食育を考える100冊の本(21)
上野聡『チョコレートはなぜ美味しいのか』集英社新書、2016年
チョコレートを「美味しい」と思う人は多いと思います。では、「なぜチョコレートは美味しいのか」と聞かれて、誰でもが納得する答えを出せる人は多くないはずです。そもそも「美味しいか、どうかは人によって違う」などと身も蓋もない言い方もできるのですが、それでは商品としての(売れる)チョコレートは存在できません。万人とは言わないまでも、多くの人が「美味しい」と思うような味だからこそ、チョコレートがお店にたくさん並んでいるのです。
ちなみに、生成AIに「チョコレートはなぜ美味しいのか」聞いてみました。
いい質問ですね!チョコレートが美味しいと感じられるのには、いくつかの科学的・心理的な理由があります。
- 脳が喜ぶ成分が入っている
・テオブロミンやカフェイン:チョコに含まれるこれらの成分は、脳を刺激して気分を良くする働きがあります。
・フェニルエチルアミン(PEA):恋愛中に分泌されるホルモンと似た働きをして、幸せな気分になります。
・糖分と脂肪:脳にとって効率の良いエネルギー源なので、快感を感じやすいです。 - 舌ざわりと香りのコンビネーション
・チョコは口どけがとても良い(人の体温でちょうど溶ける)ので、滑らかな舌ざわりが気持ちいい。
・カカオの香りは数百種類の香気成分が絡み合って、深みと複雑さを感じさせます。 - 思い出や文化との結びつき
・バレンタインや誕生日など、「チョコ=ご褒美・愛情」のイメージがある。
・子どもの頃から「特別なときに食べるもの」として脳が認識しているため、より美味しく感じます。
つまり、脳・舌・心が一体になって「美味しい!」と感じさせてくれる魔法の食べ物なんです。
ちなみに、ビター派ですか?それともミルク派?
(Chat GPTに2025年4月24日質問)
この本は、食品物理学を専門とする研究者が書いたチョコレートの研究成果です。油脂研究の成果であり、微粒子の結晶構造の研究から「チョコレートはなぜ美味しいのか」を解明しているのです。
美味しさの秘密はテンパリング!?
美味しいチョコレートをつくる上で欠かせない技(わざ)が、「テンパリング(tempering)」だと言われています。
これは「温度調整」を意味する言葉で、チョコレートづくりだけで使われるものではありません。たとえば、金属の熱処理には、高温状態から冷却させる「焼入れ」をした後で、組織を安定させるために適切な温度に加熱する「焼戻し」という手法があります。
チョコレートのテンパリングも、いったん下げた温度を上げる点では「焼戻し」と似ているといえるでしょう。大まかにいうと、溶けた状態のチョコレートの温度を「下げる」→「上げる」→「下げる」というのが、テンパリングの流れになります。固めるために一気に温度を下げるのではなく、途中にいったん「上げる」プロセスをはさむわけです。…
まず、チョコレートを50℃程度まで温めて溶かします。それを25〜26℃まで冷まします。このときココアバターの中でつくられるのは、おもにⅣ型の結晶(融点は約28℃)です。…
次に、チョコレートを再加熱して30〜31℃まで温度を上げます。こうすると、Ⅳ型の結晶が溶けて、その融液からⅤ型が結晶化するのです。(p74-75)
はて? いきなりココアバターの「Ⅳ型の結晶」「Ⅴ型が結晶化する」という言葉が出てきました。この本の作者はチョコレートの結晶構造の専門家ですので、テンパリングによって生まれる結晶の形が大切なのだと理解できます。とはいえ、結晶の話は後に譲って、テンパリングの意味をおさらいしましょう。
テンパリングは、熱を加えて溶けているココアバターを25~26℃まで冷ましたあと、再び加熱して30~31℃まで温度を上げて徐々に冷まして固めるという技術です。これを職人たちは経験的に「こうするとチョコレートが美味しくなる」と知っていて、手作業でやってきたのです。温度計を使わずに、理想的なテンパリングをやるのはかなりの熟練が必要だったに違いありません。この職人技を温度計や機械を使って行うことができるようになったことで、「美味しい」チョコレートの大量生産が可能になったわけです。
とはいえ、なぜテンパリングを行うと「美味しく」なるのか、簡単にはわかりませんでした。こうすることでココアバターの結晶構造が変化して、美味しく感じるテクスチャーが得られることがわかったのです。
チョコレートの「美味しさ」というと、カカオがもたらす独特の風味を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、チョコレートの風味を楽しむためには、テクスチャーも大事です。もし口に入れたときにトロリと溶けなかったら、カカオの風味や砂糖の甘味が広がることもありません。ポテトチップスの美味しさにパリパリした食感が欠かせないのと同様、チョコレートにも美味しさを支えるテクスチャーがあるのです。
そして、チョコレートのあの食感をもたらすのは、原料であるカカオ脂(ココアバター)の性質にほかなりません。バターや植物油といったほかの油脂とは違うココアバター独特の性質や結晶構造に、チョコレートの美味しさの秘密があるのです。(p21-22)
常温(だいたい25℃以下)では溶けず、手で持ってもすぐにはべたつかない。口に放り込んで少したつと溶け出して、チョコレートの風味が口いっぱいに広がる。あの食感が「美味しさ」の秘密だというのです。
「食べるチョコレート」の口溶けの秘密
チョコレートは、カカオ豆を発酵→乾燥→焙煎(ロースト)→粉砕してカカオマスをつくることから始まります。このカカオマスを圧搾して取り出された脂がココアバターとなり、搾って脱脂化されたものがココアパウダーになるのです。ココアバターを固めたものがチョコレート、ココアパウダーを溶かしたものがココアと呼ばれています。
カカオの産地は熱帯で気温の高いところであり、早くからチョコレートを愛飲していたアステカ文明もそこにあります。ココアバターが溶ける温度は28〜33℃とされていますので、産地では「飲む」(液体)ことはできても「食べる」(固体)ことはできないのです。「食べるチョコレート」が誕生するには、アメリカ大陸からヨーロッパの気温の低い地域にココアバターを持ってきて固める必要があったのです。
チョコレートには、ココアバターと砂糖のほかに、カカオマスも入っています。…チョコレートの色合いを決めているのが、このカカオマス。カカオマスが多いほど、濃いチョコレート色になります。ですから、いわゆるホワイトチョコレートには、カカオマスが入っていません。(p39-40)
さて、チョコレートだからココアバターを使うのは当然だと思われるかもしれませんが、油脂であればバターやオリーブオイルなどを使っても口溶けは良いように思えます。
しかし結論からいえば、チョコレート独特のテクスチャーを出すには、やはりココアバターを使わなければなりません。ココアバターには、ほかの脂にはない特殊な性質が備わっているからです。
その性質を知るために、ココアバターとほかの脂を比較したグラフ【固体脂含量曲線】を見てみましょう。横軸は温度、縦軸は「結晶の割合」です。
…ここではとりあえず、「固体は結晶の割合が高いほど固い」と思ってください。逆にいうと、結晶の割合が少ないほど、物質は液体に近づきます。つまりこのグラフは、それぞれの脂が「温度が上がるにつれてどれぐらい溶けるか」を表しているのです。
…ココアバターはどんなふうに溶けるのでしょうか。グラフを見ると、低温での結晶の割合がバターよりも高く、温度が上昇してもしばらくはその割合があまり変わりません。25℃ぐらいまでは80%以上が結晶で、固体の状態を保っているわけです。
しかし25℃を超えたあたりから、ココアバターは溶け始めます。さらに30℃を超えると、一気に結晶の割合が減少する。この落差が、チョコレート独特のテクスチャーの秘密にほかなりません。(p41-43)
(チョコレートのおいしい物理学)
このように一定の温度(25℃程度)までは固体の形を保ち、口内温度(体温)に達すると一気に溶け始めるこの食感がチョコレートの美味しさを引き出していることがわかりました。アイスクリームも口内で一気に溶けるのですが、常温で固体のまま保管することができず、手に持って食べるためにはコーンや紙コップが必要です。その点でチョコレートの融解温度(ちょうど体温に近い)がとてもいいのです。
世の中には、植物油などをココアバターの「代用脂」として使った「チョコレート」がないわけではありません。たとえば安いアイスクリームや駄菓子にかかっているチョコレートの多くは、カカオマスを使って色や風味を出しているものの、脂の部分にはココアバター以外の脂が多く混ざっています。「チョコ風味」にはなりますが、本物のチョコレートとはいえません。もしそれで板チョコをつくったら、チョコレート本来のテクスチャーは得られないでしょう。(p44)
ですから、「アイスクリーム」と「アイスミルク」「ラクトアイス」が区別されているように、「チョコレート」を名乗るための条件が法律(不当景品類及び不当表示防止法第10条第1項)に基づいて「チョコレート類の表示に関する公正競争規約」で決められているのです。
さて、いよいよチョコレートの美味しい結晶とは
ココアバターを構成する分子の8割が、パルチミン酸(POP)、オレイン酸(POS)、ステアリン酸(SOS)の三つの分子で構成されています。ココアバター以外の食用油脂にもこれらの分子はあるのですが、たとえば大豆油やサラダ油における三つの分子の割合が合計で3.3%でしかなく、100種類以上の分子の中で油脂全体の性質に影響を与えることはないのです。
それに対して、たとえば西アフリカ産のカカオから取り出したココアバターの油脂分子組成は、POP16%、POS40%、SOS27%。そのほかにも多くの種類の油脂分子を含んでいますが、それらをすべて合わせても17%しかありません。そのため、ココアバターの性質は、80%以上を占める三つの分子POP、POSおよびSOSの性質で決まってしまうのです。
そして、POP、POS、SOSの三つは、いずれも融点が高いという特徴を持っています。それぞれいちばん高い融点は、POPとPOSが36℃前後、SOSが42℃前後。この三つの性質が強く効くので、ココアバターそのものの融点も高くなり、28℃から33℃あたりまでは溶けることなく固体の状態を保ち、30℃を超えると一気に溶けるのです。(p49)
しかし、ココアバターがこうした特性を持っていたとしても、いつでも理想的な「溶け具合」が実現できるわけではありません。ココアバターの結晶の仕方(結晶多形)によって、融点が違っているのです。
六つの結晶多形のいちばん大きな違いは、融点です。基本的には、型の数字が小さいほど融点が低い。また、融点の低い結晶ほど密度が低く、不安定になります。
そのため、Ⅰ型、Ⅱ型、Ⅲ型は25℃よりも低い温度で溶けてしまい、Ⅳ型も28℃で溶けてしまいます。そのため手に持つとベタベタとくっついてしまいます。製造にも向いていません。固まったチョコレート生地をチョコレート成型用の型(モールド)から外すときに、ベタついているので外れにくいのです。(p51)
つまり、ココアバターの結晶のうちⅤ型以上でなければ融点が低すぎてベタベタになってしまうのです。Ⅵ型の結晶がいちばん安定していて良さそうなのですが、「ブルーム」と呼ばれる現象が起きてしまいます。古いチョコレートや一度溶けて再び固まったチョコレートの表面に白い粉がふいているのを見たことがあるのではないでしょうか。これは毒ではないのですが、不味いのです。
このように、Ⅰ~Ⅳ型もⅥ型もよくないのですから、チョコレートを美味しくするのが容易ではないことは察していただけるでしょう。チョコレート特有の美味しい食感をもたらすのは、Ⅴ型結晶のココアバターだけ。これは融点が33℃程度なので、口の中でうまくとろけてくれます。また、見た目もツヤがあってきれいですし、密度が(Ⅵ型ほどではありませんが)適度に高いため、結晶化すると収縮するので型から外すのみ簡単。したがって、チョコレートづくりは「いかにココアバターをⅤ型結晶にするか」がきわめて重要なテーマなのです。(p53)
ただし、ココアバターの結晶型はⅠ〜Ⅵ型へと変化していくものなので、ひとたびⅥ型になってしまったチョコレートをⅤ型の結晶に戻すことはできません。また、Ⅴ型にして販売されている市販のチョコレートを加熱して型に入れるとⅥ型に変化してしまうことが多く、美味しいチョコレートをわざわざ不味くしている可能性もあります。
いまから4000年前に中央アメリカで栽培され、「苦い水」として薬代わりに飲まれていたチョコレートが、ヨーロッパの冷涼な気候のもとで「食べるチョコレート」となったことで、私たちがよく知っているチョコレートになったわけです。その美味しさの秘密が、独特の食感(口溶け)をもたらすテクスチャー(結晶構造)であり、その食感をつくりだすことが容易ではなかったことがわかりました。まさに、多くのチョコレート職人の試行錯誤と、それを科学の視点から解明して大量生産に成功した科学者たちのおかげです。
これからも、この「美味しいチョコレート」が味わえることを願ってやみません。
朝岡 幸彦(あさおか ゆきひこ / 白梅学園大学特任教授/東京農工大学名誉教授)
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