vol.27ジャガイモ、トウモロコシ…もろもろの原産地 ~食と食育を考える100冊の本(9)
高野潤『新大陸が生んだ食物』中央公論新社(中公新書2316)、2015年
ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ、キヌア、サツマイモ、トマト、ピーナツ、インゲン、カボチャ、マカ、ヤコン、アボガド、パパイヤ、パイナップル、カカオ、ピーナツ、カシューナッツと、この本で紹介されている食物の名前を並べられて、その原産地がすべて中南米であることを知る人は少ないのではないでしょうか。このうちジャガイモとカカオ、これにキャッサバとゴムを加えると中南米原産の農作物の多くが、前回のロブ・ダン『世界からバナナがなくなるまえに』で極端なモノカルチャー化による種子の偏りで突然、壊滅してしまう可能性があると指摘されていました。コムギやコメほど目立ちませんが、実に多くの農作物が中南米から世界にもたらされています。
それぞれの地にあわせて食用植物が栽培されながら順応し、変化した。…動物たちは植物が整えてくれる環境に棲みかを依存しているが、人間は野生植物を自分たちの側に引き寄せて栽培化し、さらに工夫改良することによって食を軸とした住む世界を確保し、広げてきた。 そうした何千年も前からつづけてきた人間の努力の積み重ねにも驚かされるが、その期待に応えて、人間がもっとも必要とする食べ物を産んでくれた栽培植物の偉大さにも驚かされる。地球上に多くの人たちが生きてこられたのも、大昔に自分たちを見つけてくれた人間の側に寄り添って、芽を出して実ることを怠らなかったそれらの植物があったからこそということにもなる。そうした作物や果実類のなかに中南米の原産種が含まれている。(おわりに、p181)
本書では、トウモロコシ(第2章)、ジャガイモ(第3章)、トウガラシ(第4章)を中心に、その野生種や多様な栽培種、栽培地域と栽培方法、加工・調理方法や料理がカラー写真で紹介されています。筆者は写真家であり、50年近くにわたってペルーやボリビアをはじめとしたアンデス、アマゾン地域に通いつづけたフィールドワークの成果です。
お世話になりっぱなしの野菜や果物のふるさと
第5章では、それ以外の中南米原産種の作物と果実がまとめて紹介されています。「野菜類として、サツマイモ、トマト、カボチャ、カラバサやカラバシン(ズッキーニ)と呼ばれるヒョウタン類、インゲン、根菜類のマカ、ヤコン、果実類のアボガド、カカオ、パパイヤ、パイナップル、ナッツ類にはピーナツ(ピーナッツ)、カシューナッツ、ブラジルナッツ、雑穀類のキヌアなどがある」と並びます。
私たちにはあまり馴染みがないものの、食物繊維やタンパク質、鉄やカルシウムなどのミネラルが多く含まれていて栄養価の高いキヌアは、日本でもパンの材料やサラダ、ご飯に混ぜて食べられています。ペルー中南部アヤクーチョ高原で紀元前5000年頃から栽培され、チパヤの砂漠状平原やウユニ塩湖沿岸などの「不毛の地」でも栽培されるキヌアは、次のように紹介されます。
そのような地で昔から唯一の作物といえる形で、住む人々を支えつづけてきたキヌアからつくられたスープの味が忘れられない。1976年にはじめてウユニ塩湖に出かけたとき、湖岸近くの小学校の一室に滞在していた。残照が消えた時刻、私が部屋に戻るのを見計らって、隣家の村人が毎日同じ内容のスープの皿を両手で抱えて届けてくれた。 縦井戸から汲み上げた真水を使い、ウユニ塩湖の塩で味つけした熱いスープのなかに、小さな羊の干し肉といっしょにキヌアの粒がたくさん混じっていた。このとき知った、プチプチとした舌触りがするキヌアを具としたスープが忘れられず、以後、ボリビアでもペルーでも、食堂でこのスープが出されたときはおかわりを頼むほどの好物となっている。(p147-148)
本書では、キヌア畑や収穫作業の写真とともに、「羊肉や人参などを混ぜたキヌアのスープ。キヌアにはプチプチした食感がある。」「村人がご馳走してくれたキヌアの揚げ団子。少し粘り気があった」というキャプションをつけた料理も紹介されています。
私たちに馴染み深いサツマイモ(本当は中南米イモなのですが)は紀元前2000年頃に中南米から南米に広まり、ヨーロッパをまわって1597年に宮古島に伝播し、琉球(沖縄)や九州で栽培が広がり、品種改良が続けられて私たちが普段見るサツマイモになったようです。エクアドルやペルーに起源のあるトマトも16世紀にヨーロッパに伝わったことで、世界の食材になっていきます。ピーナツとインゲンなどの豆類は17世紀に日本にもたらされ、カボチャ(これはカンボジアから来たと思われていました)も16世紀に日本にやってきます。これにアボカド、パパイヤ、パイナップルにカカオ、カシューナッツと続く中南米原産の果物は、まさに現在の私たちに欠かせない作物になっています。
驚きのジャガイモ食・チューニョ
本書の冒頭(第1章)の書き出しは、私たち日本人のジャガイモ料理のイメージを覆してしまいます。
私のアンデスの旅はボリビアからはじまった。最初のころに戸惑ったのは町であれ村であれ、食堂のスープや主菜のなかに、黒っぽい固形物が何個か混ぜられていたことである。不思議な食品だと思ったが、香ばしさやサクサクとした歯触りからして違和感はなかった。それがジャガイモを冷凍乾燥したチューニョであることを知ったが、どんなつくり方をしているのかまではまったくイメージがつかめなかった。 ほかにも変わったイモ類の乾燥食品があった。村の食堂の定食料理のなかに2、3個加えられていた、中指ほどのしなびた塊にサツマイモ以上のやわらかい甘みが含まれていた。それを隣の客が「オカというイモを干したカヤだ」と説明してくれた。 これら以上に奇異に見えたのが、とろりとした黒色のスープ類であった。氷雪峰の山麓を一日中歩き続けた夕刻すぎ、泊めてくれたアルパカ番の男が、仲間の馬方と私にご馳走してくれたのがそのスープであった。ロウソクを1本だけ灯した暗い小屋のなか、何を材料にしているのかまったく判断もできなかったが、おいしさに加えて体がほかほか温まってきた。 このスープはチューニョの粉からつくったもので、チューニョ・ラワと呼ばれていた。(p3-4)
このチューニョのつくり方とおいしさを知っているか、どうかが大きな問題となることを筆者は「おわりに」で指摘しています。それはシベリヤに抑留された日本兵たちの捕虜体験談として「冬場になるとジャガイモは表面が凍ってしまいブヨブヨになってくる。そのブヨブヨの部分を手で剥いで中を食べるのだが、それは煮ても、焼いてもまずかった」と記されていることを紹介し、「もし日本人捕虜たちが、そうした自然が加工してくれた別の食品としてわかっていれば、もっと飢えをしのげ、希望をつかめた食べ物になっていたかもしれない」と述べているのです。せっかくなので、すぐれたジャガイモの乾燥食品・チューニョのつくり方も紹介します。
乾期(5〜10月)の6月、収穫したばかりのジャガイモを真昼の強い天日に晒し、夜から朝にかけては霜に晒す。この繰り返しを数日間続けると、ジャガイモの水分と澱粉が分離してブヨブヨになる。これを毎日足で踏みつけて乾燥食品にしたのがチューニョである。保存を目的にした脱水加工の方法という点では、日本の高野豆腐か寒天と似たところがあるといえる。 また、村人はこの季節のみの食べ物として、天日と霜に1〜2日間ほど晒してやわらかくなったジャガイモを砕いてスープの具にしている。これはカチ・チューニョと呼ばれている。 ほかのジャガイモの乾燥食品として、白チューニョとも呼ばれているモラヤがある。これもチューニョと同様に霜に晒すが、天日にはまったく当てない。そのために村人は凍てつく早朝にイモをかき集めて枯れ草や布類をかぶせ、夕刻になってからふたたび野晒しにする。この作業をやはり数日間続けたのち、川や水溜まりのなかに20日間ほど浸けてから乾燥させる。 これらに加工するのは、そのまま保存すると芽が出たりしなびたりするジャガイモと違って、長期間の保存が可能だからである。また、アク抜きができるほかに、味や食感からしてもじゃがいもと異なる食品として味わえるためでもある。おもな食べ方はいずれも、一晩水でふやかしてから茹でる。(p4-6)
残念ながら写真をご紹介できないので、写真のキャプションから美味しそうな料理を想像してください。「チューニョの粉末と羊肉でつくったチューニョ・ラワ。香ばしくておいしい粥状スープである」「砕いた(マチュカド)モラヤに羊肉、にんじんやソラマメ、香草オレガノを混ぜたスープ(ソパ・デ・モラヤ・マチュカド)」「モラヤの粉末と羊肉でつくったモラヤ・ラワ。チーズが混ぜられていることもある」「潰した小粒の新ジャガに牛肉やソラマメ、ホウレンソウを加えたスープ(ソパ・サクタ、またはソパ・デ・パパ・マチュカド)」「砕いたチューニョにソラマメなどを混ぜたスープ(ソパ・デ・チューニョ・マチュカド)」
「地中の芸術品」・パパ
ジャガイモは17世紀にオランダ船によってジャカトラ(現ジャカルタ)から日本に運ばれたことによって、この名前がついたようですが、ロシア船によって東北地方にももたらされたため「エゾイモ」とも呼ばれたようです。もっとも古いジャガイモの遺物が約8000年前のリマ市南方のチルカから発見されていますが、ジャガイモの野生種は次のようなものであったようです。
カルカ地方(郡)の人たちはジャガイモの野生種をケチュア語で、キツネの食べ物というような意味で「アクト・パパ(キツネのジャガイモ)」、「パパの祖」というような意味で「ニャゥパマチュ(昔の、古老)・パパ」と呼んでいた。 ペルー中央部のハウハの青年が私に教えてくれた野生種が、インカに敗れた大豪族が築いた集落跡の石積みのなかで可憐な花を咲かせていた。その野生種と同じと思われる茹でたジャガイモ数個を、クスコ県の北にある谷間で牛の放牧番をしていた婦人から、「パパ・サルバッへ(野生ジャガイモ)だ」といわれてご馳走してもらったことがある。表皮に粒が浮き出た丸い塊はピンポン玉の半分程度、中身は白、粘り気があってずいぶんおいしかった。(p68)
約4000種以上あるとも言われているアンデスのジャガイモの古典種系を代表するパパ・ナティーバに目覚めた筆者は、「地中の芸術品」と形容される多様なジャガイモを次のように紹介しています。
皮をむかせたら嫁が泣くだろうという意味を持つ「嫁泣かせ」のカチュン・ワカチェ、形が似ているとも思えない「リャマの鼻」のリャマ・センカン、「アルパカの鼻」のパコ・センカン、形が似ていそうな「豚の糞ころ」のクチ・アカチャや「クイ(モルモット)の胎児」のコイ・スリョ、色も味も鶏卵の黄身そのもののケリョ・ルント(卵)などがある。 ほかにグニャリと曲がった「幼虫」のケビョーリョ、無骨な形をした「ピューマの手」のプマ・マキ、指の数は不足しているが形が似ている「人間の手」のルナ・マキ、「嫁泣かせ」にも似ている「パイナップル」のピーニャというものもある。 これらの名前だけでも楽しくなってきたが、感心したのはそれぞれの鮮やかな色や模様であった。それら個々の名の前にユラク(白)、プカ(赤)、ヤナ(黒)、ケリョ(黄)、モロ(ムロ、まだら)などとつけられている。また、こうした色や形以外にオホ(「目」といわれる窪み)の大きさや形、模様などが違うだけで、数品種から10品種も同じ名のついた同類もある。(p85-99)
13ページにわたってカラー写真で解説されている(その後にさらに2ページ半を使って保存食用品種等が掲載されています)これらの多彩なジャガイモたちの姿を想像してもらうしかないのですが、ではそのお味は文字通り文章に頼らざるを得ません。
約250品種を口にした感想からすれば、半分以上がアリノーソ(粉質でホクホクとしたもの)だった。アリノーソにも粒子の細かいものや粗いもの、さらさらしたもの、サクサクしたものなどがあった。アリノーソ以外ではねっとり、またはしっとりとしたものなどがあった。 甘さについても、口のなかでの広がり方が派手なもの、じわーっと広がる奥ゆかしいもの、控えめにすっきり広がる清楚なものなどと変化に富んでいた。それらのなかにはそのまま粉菓子、アンパンや最中のアンコ、あるいは羊羹にしたいものなどが含まれていた。(p99)
これはやはり実際に食べてみないことにはわからない感じですが、少なくとも見た目だけでなく味についても、日本で私たちが食べているメークインや男爵の違いどころではない多様性があることがわかります。こうした多様なジャガイモは、「パンキイ栽培」と呼ばれる混栽方式で育てている農家が多いようです。それは「そうしたほうがよく育つ」という植物の競争原理が生かされているほか、病害に襲われても何種類かが持ち堪える可能性があり、「古典種系の王様」と表現されるベルンドス(ビルンドス)などがランチャと呼ばれる病気に遭っても壊滅しないとされています。反対にランチャに弱い保存食用のクシ、ワニャ、ルキなどの品種は、高地栽培に適していて強度の霜にも負けないようです。
多彩なジャガイモ料理
最後に、ジャガイモ料理も紹介しましょう。
砕いたチューニョやモラヤをベースとしたマチュカド・スープ(素材を砕いたスープ)、採りたての小粒のジャガイモを砕いたマチュカド・スープ(別名ソパ・デ・サクタ)などがある。これらはジャガイモ類をメインとしたスープだが、ほかのさまざまなスープ類にも、茹でたジャガイモやモヤラが丸ごと加えられている。ひき割り麦のスープにも、ジャガイモを小さく刻んだポテトフライがかならず浮かべられている。 主催料理としては、マッシュポテト風のプレがある。このプレと刻んだ鶏肉やぶつ切りのクイ(モルモット)を混ぜあわせた、アヒアコというシチュー風料理がある。何も混ぜないプレに似ているのが、インカ時代から食べられていたというロクロ・デ・パパである。ロクロは長時間煮込んで食材を煮崩れさせた粥状の料理である。 さらに炒め煮のような料理として、細かく刻んだジャガイモと肉を混ぜあわせたマタスカ、やはり細かく刻んだじゃがいもと牛の臓物を炒め煮たようなモツ料理のモンドンゴなどもある。潰したピーナツやビスケット、チーズやミルクなどを練りあわせたクリーム状のソースをジャガイモにかけるパパ・ワンカイナはペルーの名物料理である。(p107-108)
このほかに、チャコという粘土をジャガイモに塗って食べる料理やワテア(土くれを積み上げた素朴な窯)による焼きジャガイモなどが紹介されています。ジャガイモの食べ方で一つだけ気になるのが、「ペルーのどの地方でも、村人たちはどんなじゃがいもにせよ、料理後に時間が経過したものは、悶絶するほど苦しむことがあるからといって口にしない。すべてのジャガイモがそうなるわけではないが、危険を避けるために冷えたものは捨てるか家畜の餌にしていた」(p101)という記述です。冷たいマッシュポテトが好きな私にとっては、なんとしたものか…。
トウモロコシがつくった王国
映画『キング・コーン』は、私たちの髪の毛のなかにコーン(トウモロコシ)の遺伝子が含まれているという衝撃的な事実から始まります。アメリカ合衆国アイオワ州(コーン・ステート)で栽培されている膨大なトウモロコシのほとんどは、家畜の飼料か甘味料(コーンシロップ)などの形で消費されています。メキシコで7000年ほど前の遺物として野生種らしいものが発見され、ペルー・アチョーク県の洞窟から紀元前4000年頃の栽培の痕跡が見つかっているトウモロコシは、インカ帝国とそれ以前の文明を支える重要な食糧でした。
私がインカの王道でもあり大街道でもあったカパック・ニャンを求めて、各地方を転々としたときに気づかされたのは、トウモロコシの主要栽培地が昔の地方の要所とほぼ一致していたことである。それは、トウモロコシがそれぞれの時代を支えた大切な作物だったことを示しているに違いない。 海岸側の古代文明の中心域の大半もまた、トウモロコシ生産地だったといっていいかもしれない。高地側では、インカに滅ぼされた大豪族の拠点も、トウモロコシ栽培にふさわしい温暖な谷間地帯に隣接していた。インカ時代に食糧庫や階段畑が築かれていた主要な宿場があった村周辺にも、トウモロコシの栽培地が広がっていた。(p46-47)
ジャガイモがそうであったように、トウモロコシにも多様な品種が存在します。本書では、「チッチャの材料として、また茹でたモテやパタスカなどにして食べられることが多い大粒種トウモロコシ」として①ロサダ、②チョロ・ブランコ、③ペルアニタ、④パライカ、⑤サクサ、⑥モラダ(ジュースに適す)が、「煎りトウモロコシに使われることが多い中粒種トウモロコシ」として①ヤナ・ワカンチャ、②オケ、③モロ・ワカンチャ、④チュスピカ、⑤ヤワル・ワカ、⑥チェクチェが、「煎ったりポップコーンとして食べられることが多い小粒種」として①ケリョ(黄)・チュルピ、②プカ(赤)・チュルピ、③コンフィンティスが紹介されています。名前を聞いただけでは私たちには想像できないほど、(意外と)トウモロコシの大きさや色には多様性があります。細長いものからずんぐりしたものまであるものの、概ね形だけは私たちでもトウモロコシとわかるという共通点があるのかもしれません。 現在のアンデスでは、トウモロコシを日常的に料理して食べる地域は限られているようです。それでも「煮たり焼いたりするだけで腹を満たせるトウモロコシ」が重要な食料であったことは確かであり、インカの皇帝によって集団で強制移住させられた高地側の村人には「インカ軍の兵糧となるトウモロコシを確保する」という意味があったとされています。大量のトウモロコシが必要とされた理由には食料以外のもう一つの理由がありました。それは、「チッチャ(濁り酒)」をつくるためだったと考えられています。
これらのチッチャの代表的なものとして、少し酸味を含むトウモロコシ製の濁り酒チッチャがある。このチッチャはチッチャ・デ・ホラといわれている。ホラは発酵効果を生む発芽トウモロコシのことである。 このホラをバタン(石臼)で潰してから煮こんで、壺に二晩以上保存すれば、ブツブツと泡を立てて発酵し、濃厚なチッチャが完成する。アルコール分は日数の経過によって違ってくるが、ビールと同程度かそれ以下である。地方によっては、チューニョと混ぜてもっと強い酒に仕上げていた。(p56-57)
食材としてのトウモロコシ
ペルーのクスコ地方は「スープ大国」と呼ばれるほどさまざまなスープ料理が多い、と本書は紹介しています。
サラ・ラワ、チョクロを潰したチョクロ・ラワ、ほかにチャイロやパタスカを具としたスープ(ソパ・デ・パタスカ)などがある。 チャイロは様々な素材を混ぜたスープで、チューニョづくりと同じ方法で乾燥トウモロコシ粒を天日と霜に二日ほど晒したチョチョカ(凍みモテ〔茹でトウモロコシ〕)、それに皮なしのトウモロコシ粒のパタスカなどを混ぜている。 パタスカはクスコ地方でも見かけられるが、本場はジャガイモやトウモロコシの大産地でもある中央部高地のハウハ訪問になるかもしれない。ハウハ市内のパタスカのスープはクスコ地方と違って、目にしただけでも腹が満たされるほどのボリュームで、深皿のなかに肉類とともにパタスカが山盛りとなっていた。そのパタスカの煮物ともいえる料理を、食堂や市場近くの露店で多くの人たちがおいしそうにむさぼり食っていた。 クスコ県ではパタスカが主菜に添えられていることも多いが、ボリビアではもっと利用度が高く、肉やチューニョ、ジャガイモ、ティティカカ湖で獲れる小魚などの料理に加えていた。(p61-62)
スープもいいのですが、トウモロコシ料理といえば、やはり「トルティーヤ」ではないでしょうか。そのためにはトウモロコシの粒を食用の石灰水で茹でて皮を柔らかくし、パン生地としての粘りを引き出してマサ(練り粉の玉)をつくる必要があります。それをだんご状にしてから平たい円形にして焼き上げたものが「トルティーヤ」です。
現在のクスコ方面では、…チョクロ(採りたてトウモロコシ)をチマキ風に蒸したのがウミンタ、乾燥トウモロコシの粉から同じ方法でつくったのをタマルと呼び分けている。いずれも塩味が基本だが、なかにバター、オリーブ、チーズ、卵なども混ぜている。 ほかにメキシコのタコスのような名物料理に発展することはなかったが、ペルーには乾燥トウモロコシの粉を原料とした焼き上げパンのトレハスとかトルティーヤがある。 このようにトウモロコシを基本とした料理は少ないが、ぶつ切りのチョクロやモテがスープや主菜料理に添えられている料理は多い。ほかにレチョン(仔豚)を窯で丸焼きにした料理のレチョンには肉の脇にかならずタマルが並べられている。主菜として使われなくても、料理とともにそれらを味わう習慣がアンデスに残されているのである。(p63-64)
こうして中南米を原産地とする代表的な作物を見てきましたが、本書の第4章で紹介されているトウガラシについてご紹介する余裕がありません。約8000年前のペルー中北部ワラス近郊の洞穴住居跡から発見されているトウガラシは、15世紀末にヨーロッパに伝えられて辛味のないピーマン系が生まれたようです。そして、東南アジアや中国と同じく16〜17世紀に日本にも伝来したと考えられています。いうまでもなく中南米にはやはり多様なトウガラシとその料理があるのですが、それはまた機会を改めてご紹介します。
朝岡 幸彦(あさおか ゆきひこ / 白梅学園大学特任教授/元東京農工大学教授)
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