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vol.22バナナは黄色い、オレンジはオレンジ色… ~食と食育を考える100冊の本(4)

久野愛『視覚化する味覚』岩波新書 1902、2021年

久野愛『視覚化する味覚』岩波新書 1902、2021年

 食べものの「正しい」色とは何でしょうか。それは「自然な」色かもしれませんが、「美味しそうな」色であるかもしれません。しかし、私たちは本当に、ある食べものの美味しさを色で見分けることができるのでしょうか。この本は、私たちがいま考えている「自然な」「美味しそうな」色が作られてきたものであること、それがどのような意味を持つのかを歴史を紐解きながらわかりやすく解説しています。

食べものの色の標準化

 よく知られている「モデルT(T型フォード)」が発売された20世紀のはじめは、大量生産システムの導入と商品・製品の標準化・規格化の始まりを意味していました。これは自動車のような工業製品にとどまらず、農業や食品産業でも導入され、機械を使った大量生産が「多様な製品の価格低下が可能になり始めた時期」でもあります。

 こうした大量生産システムの導入と標準化は、食品産業においても例外ではなかった。ただ、この標準化は、産業によって異なる目的・意味を持っていた。標準化することで機械による大量生産が可能になるという点では共通していたが、食品の場合、農業生産物も加工品も、「標準化」とは、季節や産地によらず、味や色、形を同じ品質で生産することを意味していた。この中で食べ物の色は、人がおいしそう・新鮮そうと感じたり、味・香りを想像させるために重要な役割を担っている。そこで、人々が「自然な(あるべき)」色だと考える色を再現し、それを常に作り出すことが、食品産業における標準化にとって不可欠となったのである。(p.9)

 ここで、いま私たちが食べのもの「自然な(あるべき)」色と思っているものが、はたしてほんとうに自然な色なのかが問題となります。食べものの色を標準化するためには、色の測定と数値化、名称の統一が必要となります。その最初の試みの一つがロビボンド比色計であり、これはビールの色を「測定したい色(物)と基準となる色を目で見て比較する」(No.のついた16枚の色がついたガラスプレートのうち一つを標準色とする)方法であり、測定するために開発されたものです。ほぼ同時代に開発・利用されたもう一つの方法が、「色を色相(赤や青などの色味)・明度(色の明るさの度合い)・彩度(色の鮮やかさの度合い)の三つの要素によって分類し、系統的に配列した」マンセル・システム個もの色見本を並べたアロイス・ジョンソン・メルツとマーシャル・レア・ポールの『色彩辞典』も広く使われるようになります。
 こうした食べものの色の標準化は、1930年代ころまでにアメリカで進んだカラー広告を食品産業が積極的に活用する上でも大きな役割を果たすことになります。

 実際には、カラー写真も、その構図や色はカメラマンや印刷業者によって細かく計算されており人為的に作り出されたものである。そのため、広告の中に映る「自然な」色は必ずしも実物と同じではない。この意味で、手書きのイラストが作者の想像(イマジネーション)によって描かれているのと同様に、写真は、作り手が持つイメージによって想像された物である。だが、食卓風景にせよ、商品の写真にせよ、理想的なイメージを投影することを目的にした広告においては、「自然に見える」ことが重要なのであり、この作られた自然、そして理想の姿こそが、大量消費社会における視覚性の特徴だといえよう。(p.35-36)

 ここでは「実物と同じではない」広告の中における「自然な」色が作られたものであることを見てきましたが、標準化された色は食べものそのものの色をも変化させていきます。

そして、バナナは黄色く、オレンジはオレンジ色になった

 一年中手軽に食べることのできる、ある意味でもっとも馴染み深いくだものの代表が、バナナだと思います。バナナの原種は2種類、代表的な栽培種は6~7種類あるようですが、赤いバナナがあることをご存知でしょうか。赤茶色のモラード(レッドバナナ)は、収穫量が少なく日本ではあまり見かけないものですが、1871年に製作された『熱帯の果物』(カリアー&アイヴス社)には黄色いバナナとともに描かれています。

 20世紀初頭までにバナナの生産・消費が拡大していくにつれ、人々が普段目にするバナナに変化が起きた。黄色のバナナが市場を独占するようになったのである。ユナイテッド・フルーツ社などアメリカのバナナ生産・輸送業者が中南米にプランテーションを建設し、バナナの大規模生産を始めると、フルーツ会社はより生産性が高く、効率的な生産・販売を求めて、グロスミッチェルという黄色種のみに特化するようになった。これは、赤い品種は黄色いものよりも皮が薄く傷つきやすいため、長距離輸送には向いていなかったためである。…アメリカで黄色いバナナのみが食品売り場に並ぶようになると同時に、料理本や広告、その他様々なメディアで描かれるバナナのほとんどが黄色で表現されるようになった。(p68)

 くだもの店やスーパーなどで消費者が目にするバナナが大量生産と長距離輸送の都合で「黄色く」なったと考えることができ、これは品種の違いであってバナナの「美味しさ」の多様性は失われるのですが、「美味しさ」の基準となる完熟度にはあまり影響を与えないように思えます。これ以降、アメリカで売られ、描かれるバナナのほとんどが黄色で表現されるようになります。ユナイテッド・フルーツ社のキャラクター「チキータ」が黄色いのもそのせいでしょう。  しかし、ほぼ同時期にアメリカの家庭の食卓に定着したオレンジの場合には、くだものそのものの美味しさとは別に、「美味しく」見える色としてオレンジ色が選ばれていったのです。その口火を切ったのが、カリフォルニア州青果協同組合(California Fruit Growers Exchange / CFGE)の大規模な広告キャンペーンであり、1908年にCFGEの広告代理店がオレンジにブランド名「サンキスト」(Sunkist ← kissed by the sun)をつけて、カリフォルニアオレンジの「明るいオレンジ色」を定着させたといわれています。

 バナナの広告がカラー印刷を使って黄色い色をバナナの象徴として描いたように、明るいオレンジ色で描かれたオレンジが広告など印刷メディアを彩った。これは、オレンジの完熟具合や新鮮さを視覚的に表し、「あるべき(自然な)色」が象徴的に描かれたものでもあった。歴史家ダグラス・サックマンは、カリフォルニアのオレンジ産業に関する研究の中で、CFGEは、オレンジの生産(実際の果物)および表象(広告など)を通してオレンジを技術的および文化的産物として作り出したと論じている。そして、「自然と文化のハイブリッド(混成)」としてのオレンジは、人々が普段生活で目にする視覚環境、そして果物の色に対する見方をも変化させた。農業技術の発展によって物理的にオレンジを改良するとともに、オレンジ色で表象された果物は健康、新鮮さ、自然のシンボルとして構築されていったのである。(p71)

 ところが、アメリカにおけるもう一つのオレンジ産地であるフロリダのオレンジは、日本の「早生みかん」のように緑色が皮に残った状態で売られていました。これは、フロリダのオレンジは気候等の理由で果肉が熟しても綺麗なオレンジ色にはならないことがあったからです。

 オレンジ色が完熟のオレンジの色だと認識するのは、果物の熟成の過程で皮の色が変化することが大きな理由の一つである。オレンジなど柑橘類は普通、熟すにつれて皮が緑からオレンジ色に変化する。この生理的現象のために、多くの消費者や生産者の間で、緑色は未熟なオレンジだという共通認識ができたといえるだろう。この緑からオレンジへの色の変化は、秋から冬にかけて夜に気温が下がることで促進される。だが、アメリカのオレンジの一大産地であるフロリダ州では、オレンジの収穫期が始まる10月頃になっても比較的温暖なため、皮の色が変化しずらいのである。かといって、皮全体がオレンジ色に変化するまで収穫を待っていると、果肉が熟しすぎてしまい食べられなくなるのだ。一方、アメリカのもう一つのオレンジ産地、カリフォルニア州では、その恵まれた気候のため、オレンジは果肉が熟すのに合わせて一定したオレンジ色に色づく。つまり、栽培環境や生体的な条件、品種によっては、必ずしも皮のオレンジ色が果肉の熟し具合を表しているわけではないということである。(p75-76)

 そこで、フロリダのオレンジ農家は「グレープフルーツやオレンジは見た目(looks)ではなく、感触で(by feel)買おう」と、果汁の多さを重量感で表現する宣伝を繰り広げます。しかし、オレンジはオレンジ色というニーズに応えるために、まず(バナナのように)エチレンによる実の成熟と皮の色の変化の促進が図られ、さらに合成着色料が入った容器に浸して皮に着色する「色添加法(color-add process)」が採用されるようになりました。

合成着色料の登場

 食べものへの着色は、古くから行われてきました。サフランインディゴコチニールなどは、高価であったものの天然着色料として使われていました。これに大きな変化をもたらしたものが、合成着色料「モーヴ」の発明(1856年)でした。

 アメリカで食品向け合成着色料の生産と使用が広がり始めたのは1870年代頃である。合成着色料への需要が高まった理由の一つに、缶詰など加工食品の生産が増加したことが挙げられる。1830年代のアメリカ家庭の典型的な食料品買い物リストといえば、パン、肉、バター、ジャガイモ、砂糖、牛乳、紅茶程度だった。それが、19世紀末までに、次第に加工食品が増加することとなる。例えばある食料品販売店では、1870年代初頭には取扱商品のおよそ20パーセントが加工食品だったのに対して、1915年には50パーセント以上もの商品が加工食品で占められていた。そして1920年代までには、ほぼ全ての家庭で、マーガリンや缶詰、キャンディーなど、何らかの加工食品が利用されるようになっていた。(p.39-40)

 加工食品を中心に合成着色料や様々な食品添加物の使用が広まるにつれて、健康被害(食品の安全性)が大きな問題となり始めます。アメリカでも紆余曲折を経て、純正食品薬品法(ワイリー法/1906年)が制定され、「食品検査決定76」によって7種類の「認可着色料」の指定とその他の着色料に対して厳しい精製基準を設けました(1938年の法改正で認可着色料以外の使用が禁止されました)。その後の連邦食品・医薬品・化粧品法も、1950年代頃から改正の必要性が議論されるようになります。

 食品添加物の使用拡大に伴って、化学物質による健康被害が拡大した。これら添加物は、連邦食品・医薬品・化粧品法の規制対象だったものもあったが、有害性に関する知見は未だ不十分で、同法で使用が許可されていた添加物が後に有害だとわかったものなどもある。例えば、1950年秋、オレンジ色のハロウィンキャンディーを食べた子供たちが下痢や腹痛を訴える事故が起きた。さらに1955年には赤と緑に着色されたポップコーンを食べた200人近い人々が健康に何らかの異常をきたし大きなニュースとなった。のちにこれらの健康被害の原因が、使用されていた着色料だったことがわかったのだが、それらは、1938年法で使用が認められていたものであった。(p.50)

 食品の安全性に関する関心が高まる中で、「自然(天然)由来」の材料を用いた食品の需要も増えていきました。着色料や食品のメーカーも植物由来の天然着色料の開発に乗り出しますが、食品に本格的に使われるようになるのは2000年代以降になります。

 天然着色料の技術的弱点を解決すべく開発されたのが、化学合成によって「天然」着色料を生成する方法である。連邦食品規制では、物質の分子構造が同じであれば、それが自然由来であっても化学合成によって作られたものであっても同一のものと見做していた。化学合成によって作られた最初の「天然」着色料が、1950年に開発されたベータカロテンと呼ばれる色素である。(p.166)

 こうして、「自然(天然)由来」の「天然」着色料と同じ分子構造を持った化学合成された「天然」着色料が広く使われるになります。

食べものの「自然な」色とは何か…

 著者の久野愛さんは、食べものの「自然な」色について、次のような問いかけをしています。

 大量生産システムと大量消費社会を存続させる中で生まれたのが、例えばベータカロテンのような化学合成によって作り出された「天然」着色料であり、人工的操作によって開発された「自然」な食品である。この他、バター生産者らが、牛に黄色い色素が含まれた餌を与えることで黄色いバターを生産していたように、餌によって理想的な食品の色を作り出すことは歴史的に長く行われてきた。同様に、鶏に海藻を食べさせることで肉や皮を濃い色にして美味しそうに見せたり、養殖の鮭の餌に赤い色素を混ぜてピンク色の身を作り出したりするなど、加工食品の着色のみならず、動物の育成過程においても色は操作されてきた。
 さらに、人々が自然だと思う色を再現するために、別の食品から抽出された色素を用いることもある。イチゴ味の飲料や菓子などを作る際、例えばトマト由来のリコピンと呼ばれる色素を使ってイチゴの色を表現することがある。イチゴだけを使用したのでは、綺麗な赤色(またはピンク)が再現できないためである。リコピンは天然着色料に分類される自然由来の色素ではある。また色素自体や着色した食品にトマトの味や香が付着する訳ではない。だが、トマトの色素を用いて表現された、より「自然な」イチゴ色は、どの程度「自然」であり、また「人工的」なのだろうか。(p.169-170)

 遺伝子組み換え技術の進歩によって、いま私たちは化学合成を越えた(おそらく)あらゆる色の食べものを作り出すことができます。なぜ、私たちは「自然な」色にこだわるのでしょうか。それは、「自然な」色が食べものの「美味しさ」や安全性を保証する表象となっているからです。しかし、この新鮮で「美味しそう」な食べものの色(表象)が、作られ、刷り込まれてきたものであるとしたら、私たちは何のために色にこだわるのでしょう。もちろん、彩り豊かな食材は「美味しさ」を感じさせ、調理し、食べる楽しさを大きくします。「美味しく」、安全でありさえすれば、食べものの色も多様であって良いのでしょう。
 どのような色の食べものを食べるにせよ、やはりその食べものが作られている過程や食材となる生きものが育てられる過程をしっかり知っておくことが大切なように思います。

朝岡 幸彦(あさおか ゆきひこ / 白梅学園大学特任教授/元東京農工大学教授)

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