vol.25奇妙で残酷なスポーツ ~食と食育を考える100冊の本(7)
エドワード・ブルック=ヒッチング『キツネ潰し』日経ナショナル・ジオグラフィック、2022年
それぞれの使命を与えられて野生動物の祖先から改良されてきた家畜には、食べられる、人の手伝いをする、人を慰めるという三つの役割以外にも、大切な役割が期待されることがありました。それは、人に楽しみを与える、という役割です。そのなかには、いまでは「残虐」なものとみなされているものも多くあります。この本のタイトルとなっている「キツネ潰し(つぶし)」というスポーツが数百年前のヨーロッパ王侯貴族の高貴な遊びであったように、野生動物の狩猟を超えた奇妙なスポーツ(一般的にはブラッド・スポーツと呼ばれます)が存在したようです。「リス落とし」「クマいじめ」「野鳥たたき」「カモいじめ」「ウナギ引き」「金魚飲み」「カワウソ狩り」「ライオンいじめ」「闘猿」「タコ・レスリング」「ヤマアラシ狩り」「シカのレース」「ネズミ殺し」「フィンチ合わせ」などが、それにあたるかもしれません。
もちろん、こうした奇妙で残酷なスポーツの対象として、家畜が選ばれないはずがありません。「猫入り樽たたき」「騎馬ボクシング」「牛追い」「自動車で闘牛」「猫焼き」「雄鶏潰し、及び鶏の数々の受難」「騎馬クリケット」「ロバ・ボクシング」「人間対闘犬」「豚追い」「闘馬」、などの猫、馬、牛、鶏、ロバ、犬、豚のような身近な家畜も多く登場します。
ここでは、まず、私たちが現在(いま)見ている比較的に穏当な家畜の競技(スポーツ)とは別に、すでに禁止されたり、拒否されてた「誰も覚えていない」スポーツを通して私たちがかつて持っていた動物観をご紹介します。
紳士淑女のキツネ潰し
著者は本書を執筆するきっかけとなった奇妙な言葉「フックスプレレン( Fuchsprellen)」(「キツネ」と「跳ね返る」というあり得ない組み合わせの言葉)が書かれた挿絵について書き始めます。
いつの時代でも、キツネ潰しほど珍妙なゲームはないだろう。男女が力を合わせ、無防備なキツネをできるだけ高く空中に飛ばすのだ。まず、プレルガルンまたはプレルトゥーフ(飛ばし布)と呼ばれる細長い網か布を地面に敷く。ペアになった2人が6、7メートルの間隔をあけて両端に立ち、真ん中をたわませて布の両端をしっかりと持って待機する。競技会場の隣にある囲いからキツネたちが放たれ、おびえたキツネは競技場を走り回る。キツネが布を踏んだ瞬間、待ち構えていた競技者たちが両側から力いっぱい布を引っ張っぱり、キツネを宙に放り上げる。キツネが 7メートル以上の高さまで飛ばされることも珍しくなかった。足から着地しようと空中で必死にもがくキツネを眺めるのも、人々の楽しみの一つだった。
キツネ狩りは代表的なブラッド・スポーツであると見なさており、一般的な狩りとは異なって単純に仕止めることよりも集団で追い回して殺すことを楽しむものでした。「きつね潰し」は、このキツネ狩りよりもさらに動物の苦しみを増し、それだけ人びとを楽しませるスポーツであったと考えられるのです。実際に、このスポーツは高貴な人びとを大いに楽しませたと記録されています。
キツネ潰しの原形は、ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世(在位 1611 ~ 1656年)が好んだスポーツだ。ゲオルク1世は、ドレスデンの中央市場の闘技場で、大型動物同士を戦わせたことで知られている。そこでは、ウシの仲間のオーロックスや雄ジカ、オオカミ、クマ、イノシシなどが血みどろの戦いを繰り広げていた。戦いが収まると、ゲオルク 1世は果敢にも競技場に足を踏み入れて、生き残った動物に槍でとどめを刺したという。
キツネ潰しに熱狂していたポーランド王及びリトアニア大公のアウグスト2世は、怪力の持ち主だった。…とりわけアウグスト2世が楽しみにしていたのは、キツネ潰しの布の端を最強の家臣2人に持たせ、反対側の布を指一本で引いて、名高い怪力ぶりを誇示することだった。ドレスデンの宮殿で開催した 1回のキツネ潰しの大会で、キツネ687匹、ノウサギ533匹、アナグマ34匹、ヤマネコ21匹というおびただしい数の動物が殺された。
このキツネ潰しというスポーツはとうの昔に行われなくなってたため「忘れ去られていた」のですが、キツネ狩りの方は根強く愛好されたため2005年までイギリスでは認められていました。もちろん、キツネやクマ、イノシシやシカなどの野生動物が、「害獣」として駆除される必要性があったことも事実です。しかし、イヌやネコ、ニワトリ、ウシなどの家畜が対象となる場合には、駆除とはいえません。
猫入り樽たたき、猫焼き
もともと期待されていたネズミをとる必要がなくなっても、いまでもこよなく愛されているペットとしてネコが語られます。しかし、ネコの不幸は歴史的に「黒魔術や厄災と関連がある」「魔性の生き物」とみなされたことです。そのため、中世ヨーロッパでは都市や村のお祭りに、ネコの受難を人びとが楽しむことが繰り返されていました。
ファステラウンは四旬節の始まりを祝う行事で、中世には家族の誰もが楽しめる娯楽、樽たたきが行われていた。黒猫を樽に入れて木からつるし、樽が割れるまで棒でたたく。猫が転がり落ちると、追い回して棒で殴り殺す。樽の底を割って猫を落とした人が「猫の女王」、最後に残った樽の破片を落とした人が「猫の王」の称号を授かる。もともとは不吉な予兆を払う迷信的な儀式が起源で、魔術、悪魔の仕業、不運などと結び付けられた猫の受難の一例だ。このゲームは今でもデンマークで行われているが、樽に詰められているのはお菓子で、猫は樽の側面に描かれているにすぎない。
ネコの受難に関わる、とりわけ残酷な風習として中世フランスで行われた「ブリュレ・レ・シャ(猫焼き)」という行事があります。この表現から火炙りの刑を想像する人もいるかもしれませんが、動物を人間と同じ法や規則で裁こうとした「動物裁判」とは異なるものです。
幸運を手に入れるために、魔力を帯びているとされる物を捧げ物として焚火の中に放り込む風習は昔からあった。猫にとっては迷惑な話だが、猫は魔性の生き物だと考えられていたため、16世紀のパリではヨハネ祭のような祭日の正式な行事として猫焼きが行わられていた。広場に処刑台を特別にしつらえ、猫でいっぱいにした袋がぶら下げられると、処刑台の下の薪の山に火がつけられる。火の勢いが大きくなると、猫たちが叫び声をあげながら火の中に落ちて焼け死んでいく。その断末魔を音楽のように聴きながら、群衆は大いに楽しんだ。
フランスには地方ごとにさまざまな形で「猫焼き」が行われたという記録があります。サン=シャモンのクーリモー(猫追い)ではネコを可燃性の液体に浸して火をつけて追い回す、ロレーヌ地方のメス市やオート=アルプ県のギャップでは何十匹ものネコをかごに入れて焚火の上で焼いたそうです。さらにブルゴーニュ地方では、「火が消えると、人々は幸運をもたらす黒焦げの残骸を持ち帰る」という象徴的な行為が行われました。1648年にはルイ14世がダンスの開始前に「毎年恒例の猫焼きに点火」したとの記録が残されています。
さすがに、この慣習は1765年に法律で禁止されますが、いまでもベルギーのイーペルではカッテンストゥートゥ(猫祭り)で毎年5月の第2日曜日に衣装を着た道化師や巨大なネコの山車の行列が町中をラーケンホール(衣料会館)まで練り歩き、建物の鐘楼から下の群衆に向かって「ぬいぐるみ」が投げられています。「その後、魔女の火刑を真似て人形が燃やされる」というのが、このお祭りの「目玉」となっています。
雄鶏潰し、及び鶏の数々の受難
中世ヨーロッパでは、弓の練習に「やじりを丸めた矢を用いて、けがをさせることなくその辺りにいる家畜を射た」ようです。「雄鶏潰し」というゲームも「雄鶏の脚を台や切り株につなぎ、参加者が順番に雄鶏の体をめがけて矢を射る」ものでした。また、「告解の火曜日」の祝祭の呼び物として「雄鶏投擲(とうてき)」というゲームが行われ、「若い雄鶏を捕まえ、地面につなぐか首まで埋め、死ぬまで棒や石を投げつける」ことが行われました。これは現在でもレガスピという町で、太鼓の音を頼りに参加者たちが鶏の位置を特定して、鶏の頭を軽くたたけば勝ちとされる行事として残っているそうです。
オックスフォード大学ボドリアン図書館が所蔵する1344年の写本に、「棍棒とつぼ」というゲームの絵があるそうです。
ドイツでは、1800年代にはまだ、その遊びが祭りや祝い事の際に行われていた…。今でもごく一部の地方で、「ハーネンシュラーグ(雄鶏殴り)」と呼ばれる慣習が細々と生き残っている。人間による数々の残酷な娯楽をなんとか免れてきた若い雄鶏が不幸にも捕らえられ、つぼの中に閉じ込められる。参加者たちは目隠しをして、方角が分からなくなるまでぐるぐる回される。そして鶏が閉じ込められているつぼがあると思しき方向に進み、そこをめがけて思い切り棍棒を振り下ろすのだ。すぐにつぼが粉々になることもあれば、何度もやり直さなければならないこともある。周りの見物人たちが、つぼがどの方向にあるか指示を出して手助けする場合もある。当然ながら、閉じ込められた雄鶏は叫び声を上げて騒ぐため、自ら位置を知らせることになる。
現代でも「雄鶏殴り」は続けられていますが、もちろん生きた雄鶏は使われません。参加者たちはホッケースティックに似た棒を持って、見物人の指示に耳を傾けながら、目標物の位置まで少ない歩数で歩いて棒を振り下ろしたものが勝ちという穏当な形に変わっています。
牛追い、豚追い
スペインの闘牛をを残虐だと思う人はいても、パンプローナの伝統行事・サンフェミルミン祭りのエンシエロ(牛追い)をそう思う人はあまり多くないのではないでしょうか。とはいえ、エンシエロで「人間追い」をした6頭の雄牛は、その後に闘牛にも使われるのですが…。ところが、イングランドのジョン王の治下(1199〜1216年)にスタンフォード城下で始まり、その後何百年も毎年11月13日に続けられていた伝統行事は、(ウシにとって)まさに受難といえるものでした。
この伝統行事は…毎年その日が来ると、道路を荷馬車で封鎖し、「帽子を投げたりして雄牛をからかい、いらだたせた」。耳と尾と同様、角の先端も切除され、体には捕まえにくいように石鹸が塗られていた。仕上げに鼻の周りに胡椒を吹き付け、哀れな雄牛を激高させる。柵が取り除かれると、いよいよ走る準備を整える番だ。牛が道路を突進すると、男も女も子どもも犬も一群となって、その後に続いた。
雄牛は町からウェランド川にかかる橋まで追い立てられた。ここが「橋の上の雄牛」と呼ばれるイベントの舞台だ。両側から群衆が近づき、雄牛を挟み撃ちにする。それから一丸となって雄牛と格闘し、橋の上から川へと投げ込む。通常、雄牛はなんとか岸まで泳ぎつき、陸地に這い上がる。そこは肉屋たちが拝領した牧草地だ。それから、雄牛に犬をけしかけて殺すのだ。恐怖が肉の風味を良くすると信じられていた。肉は地元の夕食用に安く提供された。川に放り込まれなかった場合、牛はとりあえず命拾いする。
ウシやニワトリと同様に、もちろんブタも肉だけでなく人間の楽しみのために多くの受難を与えられてきました。もっとも古い動物裁判(1386年)で絞首刑に処せられたのは幼児を殺害した雌豚であり、その後も被告の多くはブタだったといわれています。1425年のフランスの写本には「豚と目隠しをした男」と呼ばれる祭りの様子が描かれており、目隠しをした4人の男がフェンスの中でブタを殴り殺そうとするゲームでした。やはり、ブタも人間に「追いかけ」られたのです。
英国の市や祝祭では、「豚追い」もしくは「豚狩り」というゲームが盛んだった。選ばれた豚は尻尾を切られ、石鹸か油を塗りたくられる。それから群衆が豚を追いかける。豚を捕まえ、尾のない尻を載せて片手だけで頭上に掲げることができると、勝者となり、豚を手に入れることができた。
幸にして、こうした身近な家畜たちの受難は、法令によって禁止されたり、人びとに支持されなくなることで次第に行われなくなり、忘れ去られてきました。
拒否され、忘れ去られることの意味
私たちが生きている世界は、すでに必要以上の苦痛を動物たちに与えることに不快感を感じる人が多く、拒絶されるようになっています。したがって、ここで紹介した「奇妙なスポーツ」(ブラッド・スポーツ)が復活して、「雄鶏潰し」や「牛追い」、「豚追い」が行われることはないでしょう。どちらかといえば、食用の家畜に対しては少しでも苦痛の少ない方法で一瞬にして屠畜することが嗜好されているように思えます。
これらのスポーツが廃れていった理由はもちろんさまざまだが、おおむね「残酷」、「危険」、「ばかばかしい」の3つに分類できる。本書で取り上げたスポーツのなかで目立つのは「残酷」に分類されるものだ。人類は、動物を残虐に扱ってきた忌まわしい歴史があったこと(そして今も続いていること)を知ってはいるが、動物虐待の歴史を深く掘り下げて調べない限り、常軌を逸した残虐行為の全容を理解することはできない。ウナギ引きや、イノシシ狩り、イタリアでの猫への奇抜な頭突き、そしてもちろんキツネ潰しもこの範疇に入る。これらは、どう考えても残忍な〝ゲーム〟だが、当時の人々にとっては夕食前のちょっとした気晴らしにすぎなかった。社会が発展するとともに、動物を飛び道具のように扱うことに眉をひそめる人々が現れ、こうした娯楽は違法とされて歴史の奥底で朽ち果てていった。
確かに、こうした残酷なスポーツやゲームは拒否され、実行されなくなることで「忘れ去られる」ことに意味があるのかもしれません。とはいえ、こうしたスポーツが拒絶される理由となった「残酷さ」が、食べるために殺す、食べるために育てる、食べるために改良するという、私たちがいま普通に認めている行為に適用されないという保障があるわけではありません。いずれ人類が食用の家畜という存在を「忘れ去る」可能性も視野に入れて、未来を考える必要があるのかもしれません。
朝岡 幸彦(あさおか ゆきひこ / 白梅学園大学特任教授/元東京農工大学教授)
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