vol.30落語に出てくるご馳走のお話(下) ~食と食育を考える100冊の本(12)
稲田和浩『いろは落語づくし ○壱 落語からわかる江戸の食』教育評論社、2019年
前回に続いて落語に登場する「食」を稲田和浩さんの本からご紹介しましょう。本書は前著、『食べる落語 いろは うまいもんづくし』(教育評論社、2006年)に一部加筆修正したものです。
「時そば」は屋台の熱いそば。丼を持って食べる。「そば清」はもりそば、そばを猪口の汁につけて食べる。 そばの食べ方は実際にも難しい。たっぷり汁につけて食べてはいけない。少しそばをつまんで、ツルツルと食べるんだが、これがなかなか難しい。…「そば清」で清兵衛が十枚食べるのも分からなくはない。 だが実際は、そばなんて何枚も食べるものではない。メニューを見ればわかる。板わさ、焼き海苔、玉子焼き、なんていうのがある。そば屋の玉子焼きは独特のうまさがある。焼き海苔なんかも、うまい。そんなのを頼んで、お酒を飲んで、最後に一枚そばを食べて帰る。…江戸の話芸、落語には、おいしく食べる話があまたある。そんな話を聞きながら、おいしく食べる方法を学んだりも出来る。 学ばなくても笑っているうちに、そういうもんだ、ということがわかってくる。それが落語だ。(あとがき、p228-229)
さて、前回の『江戸落語で知る四季のご馳走』でご紹介した落語が「かつぎ屋」「厄払い」「長屋の花見」「おせつ徳三郎」「あたま山」「髪結新三」「酢豆腐」でした(前回は初夏でご紹介が終わったため「夏」「秋」「冬」のご馳走は紹介できませんでした)ので、重ならないものを…と考える必要は全くありませんでした。落語には、まだまだたくさんの食べ物ネタがあるのです。
まずは、本書に登場する「いろは」四八文字の食べ物を並べてみましょう。「い」=芋、「ろ」=ロバのパン、「は」=はんぺん、はす、芋を甘辛く煮たものを丼に二杯、「に」=二八そば、「ほ」=本善、「へ」=べちょたれ雑炊、「と」=豆腐、「ち」=ちりとてちん、「り」=利休饅頭、「ぬ」=ぬくい造り、「る」=留守宅の食卓、「を」=折詰、「わ」=藁筒納豆、「か」=かぼちゃ、「よ」=羊羹、「た」=卵焼きと蒲鉾、「れ」=レタス、「そ」=そば、「つ」=漬け物、「ね」=葱、「な」=鍋焼きうどん、「ら」=ライスカレー、「む」=むらさめ、「う」=梅干し、「ゐ」=居酒屋の品書き、「の」=海苔、「お」=おまんま、「く」=グリコキャラメル、「や」=弥助、「ま」=饅頭、「け」=玄米、「ふ」=麩、「こ」=鯉の洗い、「え」=えぼえぼ坊主のすっぱ漬け、「て」=天ぷら、「あ」=アイスクリーム、「さ」=刺身、「き」=胡瓜のこうこ、「ゆ」=ゆで卵、「め」=目黒のさんま、「み」=みかん、「し」=猪の肉、「ゑ」=餌、「ひ」=干物、「も」=餅、「せ」=赤飯、「す」=酢豆腐、「ん」=雲古。さすがプロ!よくこれだけ並べられたものだと感心します。
さて、それでは「いろは落語づくし 江戸の食」の世界を楽しみましょう。
芋
「江戸わずらい」という言葉があるそうです。「江戸時代、それまで主に玄米を食べていた江戸の人々にも白米食が広がりました。…ところが、その頃から奇妙な病が流行り始めました。…江戸を訪れた地方の大名や武士に、足元がおぼつかなくなったり、寝込んでしまったりと、体調が悪くなることが多くなりました。そんな人たちも故郷に帰るとケロリと治ってしまうことが多かったため、この病は『江戸わずらい』と呼ばれました」。これは、玄米を白米に精米することでビタミンB1が失われて、白米だけを食べていると「脚気」という病気になることが知られています。毎日のように白米を食べることを誇りとしていた江戸っ子(江戸の庶民)ですが…
「おっかぁ、今、辰公の家の前を通ったら、かみさんと二人で芋食ってやがった。雨が続いて仕事に出られねぇ、銭がなくて米が買えないんだとよ。出世前の若い者が、芋が晩飯だなんてかわいそうじゃないか。うちの飯を届けてやりなよ」「届けてきたよ。涙流して喜んでた」「そうかい、よかったじゃねぇか。よし、うちも飯にしようじゃねえか」「何いってるんだよ。今、辰つぁんのところにあげちゃったよ」「なんだよ、俺等の食うぶんまで全部やっちまったのかい。じゃ、炊いてくれよ」「お米がないよ」「買って来いよ」「お足がないよ」「しょうがねえな。じゃ、芋食うか」(p9-10)
まさに「他人の難儀には後先考えずに手をさしのべ、自分の不幸にはあきらめがいい。江戸っ子らしい小噺」ですね。お芋が出てくる落語に「宮戸川」「徳ちゃん」「真田小僧」があるそうです。
べちょたれ雑炊・ちりとてちん
落語「七度狐」には、「べちょたれ雑炊」という、なんとも奇妙な名前の食べ物が登場するそうです。旅人が道に迷って、ようやく寺を見つけて僧侶にふるまわれた食事の名前です。「椀を手に雑炊をかきこむ仕草が、落語家の腕の見せ所だ。空腹、早く腹を満たしたいので、決してうまくはない雑炊をかきこむ。」しかし、…
「かたい、なんやこれは。すみませんが、この雑炊の中に入っている、かたくて、噛むと甘い汁の出る、この藁みたいなものはなんですか?」「ああ、それは藁ですな」「藁?冗談じゃない。おかしなものを入れんといてください。このなんですかな、口の中でジャリジャリいう土のようなものはいったいなんですか?」「ああ、それは土です」「えええーっ、藁はともかく、なんだって土なんか雑炊の中に入れるんですか?」「いやな、ちょっと味噌が足らんによって、赤土を混ぜてみたんですがな」(p31)
「藁を食べて赤土を食べると、腹の中に壁ができてしまう…」というのが稲田さんの推理です。真っ暗なところで何が入っているのか分からないまま鍋を食べる「闇鍋」というものもあるそうですが、さすがに食べられないものは入れないというお約束があるはずです。さすが、落語の世界ではなんでもやってしまいます。
落語「ちりとてちん」にも、「ふだんから世辞のひとつもいわない、知ったかぶりで皮肉屋の偏屈な男」を懲らしめるために、とんでもないものを食わせる話が出てきます。
「これなら、もしかしたら、あなたのお口に合うかもしれない」と、旦那はおもむろに「ちりとてちん」を登場させる。 豆腐が腐って青味がかったところへ赤い唐辛子。赤黄青と、うまく彩りを付けて、みごとな珍味を作り出したものである。 味はどうなのだろうか。豆腐のとろ味と発酵したチーズのような粘り気もあり、腐った酸味、唐辛子の辛味に、多少の苦味も加わった、すっぱくて辛くて苦い、なんともいえぬ味であろう。 ちりとてちんは、もしかしたら名だたる珍味の仲間入りが出来たかもしれない。食べて体調さえ壊さなければの話だが。(p43)
微生物が有機化合物を分解してつくり出した副産物が、人間にとって有益な物質ならば「発酵」、有害な物質ならば「腐敗」と呼ぶのですが、「ちりとてちん」はどうみても腐敗だと思いますので試さないことをお勧めします。
豆腐
講談「徂徠豆腐」には、豆腐やおからが登場します。主人公は、江戸中期の有名な儒学者である荻生徂徠が世に出る前、まだ無名で貧しい頃の話とされています。「栄養があって、骨がなくて食べやすく、冷奴でよし湯豆腐によし、味噌汁の具にもなり、おまけに値段が安い」と言わしめたとされているのです(たぶん、そんなことはいっていないと思うのですが…、「講釈師、見てきたような○○をいい」と大目に見てください)。
世に出る前の荻生徂徠が空腹で困っているのを見かねた豆腐屋がにぎり飯を作ってあげようというのを、「にぎり飯をいただいてはほどこしを受けることになり乞食となる。商売ものの豆腐なら、いずれ世に出たおりお返し出来るから、豆腐をいただきたい」と、豆腐を冷奴でズルズル食べる荻生徂徠。そこで豆腐屋は「おからはいかがですか」とすすめる。(p35-36)
豆腐屋は豆腐のほかに、おから、油揚げ、がんもどき等もつくっています。落語「寝床」には、義太夫好きの大家さんの語りから逃れるために「がんもどきの大量注文があった」と言い訳する豆腐屋が登場します。
「はすにごぼうにしその実なんてものが入りまして、はすは皮むきでむいて切っておけば良いのですが、ごぼうは皮が厚うございます。包丁でもってなでるようにしませんとうまく切れません。あくが出ますから、あく抜きをしないといけませんで、しその実もある時分はよろしいですが、ない時分には漬け物屋で買ってまいりまして塩出しをするんですが、この塩出しが難しい」(p36-37)
がんもどきの製造法で言い訳する豆腐屋の姿が、なんともおかしく思えます。豆腐が登場する落語には、「甲府ィ」「鹿政談」「千早ふる」「寝床」があるそうです。
羊羹
お茶に羊羹は、お客さんが来た時の定番かもしれません。落語に登場する羊羹の話が、なんとも“あるある”的でおもしろいのです。
落語でも、八つぁんがご隠居さんの家に行くと、お茶と羊羹が出る。「どうだい、八つぁん、羊羹は召し上がるかね?」「どうもね、あっしは酒飲みなものでね。羊羹なんか食べると」「羊羹はだめかい?」「ええ、五本も食べたら、げんなりしちゃう」 羊羹を五本も食べる奴はいない。(p73)
いい客が来ると、迎える方の気持ちが羊羹の切り方に表れる。「ばぁさん、お茶だけでなしに、羊羹もお出しして。薄く切るんじゃねえぞ、厚く切ってな」 なかにはしみったれの家もある。「薄い羊羹だね。独りで立ってないよ、お互いに寄りかかってかろうじて立っていやがる」 羊羹の薄切りなんてえのはいただけない。生ハムじゃないんだから。しかし、そういう家には訪ねる客のほうも心得ている。「そんなら、三枚一緒に食ってやる」って、羊羹の重ね食いなんていうのはない。もっと図々しい奴になると、「この間、○○さんのところでいただいた羊羹は美味しゅうございましたよ。お前さんのところもあの羊羹になさいな」 どこの羊羹を出そうと大きなお世話である。(p74-75)
落語「小言幸兵衛」に登場する大家の幸兵衛さんは、住まいを借りに来る人を見て態度を変える。いや、羊羹の出し方も変えるようです。
二番目に来た仕立て屋の男はいたって常識人で、言葉遣いがていねい。いつもは高圧的な幸兵衛さんだが、そうした人物には態度をころりと変え、「ばぁさん、お茶を入れて。あと羊羹も。ありません?ないわけないだろう。古い?いつのだい。安政の頃? あー、構わないよ。どうせこの人は食べないから」 相手が常識人であるから、こちらも礼を尽くす意味で、茶と茶菓子を出す。それが礼儀であり、出されたほうも茶菓子なんぞはガツガツ食べないのが常識というものなのだろう。(p75)
こうして羊羹の出し方一つにも、「訪ねて来た人、迎える人との人間関係や、その人たちの性格などが描かれる」落語の世界もなかなかおもしろいものです。
そば・二八そば
江戸っ子は、うどんよりもそばが好き、となんとなく思う人が多いのではないでしょうか。確かに、落語にもそばが登場するものは多く、「そば清」「疝気の虫」のほかにも新内「そば」などなど。その中でも、誰もが一度は(何度も)聞いたことのあるのが落語「時そば」でしょう。こちらは、いろは四八文字の「(そ)そば」とは別に、「(に)二八そば」とわざわざ独立して紹介されています。
二八そばが登場する落語に《時そば》がある。江戸時代の時刻の数え方がキーになる落語だが、ほかにもそばの食べ方、江戸っ子にどんなそばが好まれたか、というような側面が理解できる。 どんな麺が好まれたのか、細くてポキポキしているのがいい。どんな出汁が好まれたか、鰹節をおごったものがいい。丼はきれいで、箸は割り箸、塗り箸や一度使った割ってある箸はいけない。先っぽが濡れてたり、葱がぶら下がっているなんてえのは論外だ。(p24)
さて、稲田さんも「俗に『二八そば』というのは、『そば粉が八割で、つなぎが二割』などと落語家はマクラでいう。また、そば一杯の値段が、十六文だったところから、二×八で十六文の落語だなどともいう」と書いています。「二八そば」の由来について…、やはり2説あるようです。あるサイトの見解は「時代背景としてそばの値段が20文を超えた慶応年間(1865~68)を境とし、二八そばの語源として慶応以前は代価からきたという説、慶応以降は配合割合からきたという説をとるのが妥当であるとされています」と説明しています。また、そば粉8:つなぎ2の「内二」、そば粉10:つなぎ2の「外二」の割合の違いもあるようです。 「時そば」の舞台になっているのが屋台の荷担ぎそば屋で、ここでは「もり」「かけ」の他には「しっぽく」(それも「竹輪が一枚ようやく入っているだけのごくシンプルなもの」)しか出せなかったそうです。稲田さんの解説によれば、江戸も後期になると店舗営業のそば屋が増えて「もり、かけが十六文。花巻、しっぽくが二十四文。天ぷらそば、卵とじが三十二文」といろいろなメニューが用意されていたようです。
そんなそば屋で繰り広げられる珍事件を扱う落語が《そば清》だ。 町内の連中がわいわい集まっているそば屋に、「どうも」とやってくる一人の男。そばの賭けで家まで建てたという、そばっ食いの清兵衛さんである。何連勝もする清兵衛さんに、「五十」で勝負を持ちかける。いくらなんでも五十枚のそばは食べられない。さて、清兵衛さんはどうするか。 十代目金原亭馬生がこずるく憎ったらしい清兵衛さんを、ニコッと笑って「どうも」という一言で見事に演じていた。いけしゃあしゃあとした風情で描いた清兵衛さんに翻弄される江戸っ子連中に、SFチックな落ちが楽しい一席だ。(p87)
さて、新内という浄瑠璃の作品「そば」の原作は、山東京伝が作ったそばの宣伝コピーらしいと紹介されています。「太く短く生きやしょう、それはやくざの世渡りよ、人と人との付き合いも、二人が恋のその仲も、細く長くと願うこそ、人の心の常ならん」 なんとも粋な感じがするのは、私だけでしょうか…。
まんじゅう・さんま(秋刀魚)・みかん
せっかくなので、食べ物をネタにした有名どころを、あといくつかご紹介しましょう。まずは、落語「饅頭こわい」から…。
町内の若い者が集まっての馬鹿話。何が怖いかに付いて話していると、怖いものなんかないという男が現れる。…この男が怖いもの「饅頭」を思い出す。寝込んでしまった男を驚かしてやろうと、町内の連中が男の枕元に饅頭を山と積み上げる。腰高饅頭、唐饅頭、そば饅頭、葛饅頭、田舎饅頭、栗饅頭、中華饅頭、チョコレート饅頭など、枕元にはいろいろな饅頭が並ぶ。…さて、枕元につまれた饅頭に驚いた男は…(p141-143)
この饅頭がどうなったかは、お察しのとうりです。こんなのは、いい大人なら簡単に見抜けるだろうと思うかもしれませんが、何かとアレルギーを持つ人が多い世の中、本当に「○○怖い」こともあるのは確かです。
さて、落語「目黒のさんま」にはお殿さまが登場します。
さる藩のお殿様、武術鍛錬のため目黒あたりまで遠乗りに出かける。時分になり空腹を訴える殿様、供はあいにくと弁当の用意をしていなかった。そこへ近所の民家で焼いているさんまの匂いが…。 「なんの匂いじゃ?」「下々の食すさんまと申す下魚にございます」「苦しゅうない、余は食す。求めてまいれ」 殿様の前に差し出されたさんまは、旬の脂ののった焼き立て。これがまずいはずはない。殿様、さんまの味が忘れられなくなってしまう。 しばらくして、さんまを食す機会に恵まれたが、ご家来衆が殿に脂ののったさんまなどは出してはいけないと、脂抜きをして骨も全部取って、つみれにして吸い物の実にして出した。食してみて、かすかにさんまの味はすれど、脂もなにもないただのつみれ。これには殿様は驚いた。 「これ、このさんまはいずれより求めたか?」「日本橋魚河岸にて求めました」「それはいかん、さんまは目黒に限る」(p185-186)
この落ちの面白さは、殿様がさんまを目黒の「名産」だと思い込んでいるところにあるのですね。いまや「下魚」とされたさんまも、漁獲量の減少で高嶺の花となりました。庶民であっても、旬の脂ののった(七輪で)焼きたてのさんまをなかなか食べることが叶わないのであります。
さらに、落語「千両みかん」が描く番頭さんの心情を、私たちも笑ってばかりはいられませんよ。
病の若旦那のために、夏の盛りに番頭がみかんを探す噺である。そんな季節にみかんなどあるわけがないが、懸命に探したら一軒だけ、みかんを売っている店があった。神田の「万惣」という果物屋。主人曰く「果物屋ののれんを掲げている以上、ないとはいえない」。そのために蔵を三つ、籾殻冷蔵庫状態にしてみかんを囲ってあるのだという。…三つめの蔵に、ただ一個食べられるみかんが残っていた。だが、そのみかんの値段は千両だという。…こんな季節にでもみかんがある、万惣ののれん代の「千両みかん」だというのだ。…みかんを食べて元気になった若旦那だが、食べ残したみかん三袋が番頭の手の中に。 「来年私はのれん分けだが、旦那は五十両もくれまい。待てよ、ここにみかんが三袋、一袋百両として三百両。ええい、あとは野となれ山となれだ」(p190-191)
みかんを三袋を手にした番頭さんがどうしたのか…。なんとも罪な果物屋と若旦那だと思うのですが、こうした錯覚に私たちも陥らないとは限りませんね。いや、「いまが買い時」「いまが売り時」などと急かされて、すっかり虎の子を無くしてしまわない保証などどこにもありません。そんな時には、「千両みかん」を思い出してください。
まだまだ落語の世界にはなんともおかしい食べ物ネタがあるのです。にわかには信じられない登場人物のやり取りをもっともらしく、いやそれ以上にリアルにおもしろく語る師匠・名人の姿を思い浮かべながら筆を置くことにしましょう。
お後がよろしいようで♪
朝岡 幸彦(あさおか ゆきひこ / 白梅学園大学特任教授/元東京農工大学教授)
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