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vol.35人民に勧め割り当ててそばを植えさせ、凶年に備えさせよ ~食と食育を考える100冊の本(17)

俣野敏子『そば大全』講談社学術文庫、2022年

俣野敏子『そば大全』講談社学術文庫、2022年

  という看板を、鹿島神宮の門前町通りで目にしました。「はて?」。「そば」と言えば「そば切り」、この言葉の初出は1614(慶長19)年とされているため、室町時代とはすごい!いや、「そばがき」を商っていたのだろうか?などと想像しました。

 「そば」の幼名である「そば切り」がどこで始まったかは江戸時代からいろいろ推測されているが、当時からすでにわからないらしい。最近出版されている本の中にも「そば切り」の語の初見は1614(慶長19)年の『慈性日記』だと書いてあるものもある。それは『国史大辞典』や平凡社の『世界大百科事典』(旧版)などにも記載されていて、ほぼ定説になっていたからである。慈性は近江多賀神社の社僧で、彼の日記の慶長19年2月3日の条に、江戸の常明寺で「蕎麦切り」をふるまわれた記録がある。(p57)

 このように私たちがふだん馴染んでいる「そば」(そば切り)の歴史は400年ほどなのですが、世界にはさまざまな「ソバ食」があるようです(第三章 世界のソバ食紀行)。

人間に都合のよい性質のいろいろ

 ソバは「双子葉の他殖性植物」と呼ばれる作物です。まず「双子葉植物」とは種子の中の胚にすでにできている「子葉」もしくは初期葉が2枚(双葉)になっているものであり、「他殖性植物」という他個体と交配する植物です。問題は、どうやって他の個体の花粉を受粉するのかということです。

 花によって雌しべの長さと雄しべの長さの関係には二つのタイプがある。一つは雌しべが雄しべより長い「長花柱花」、もう一つは雌しべが雄しべより短い「短花柱花」で、一本一本のソバはそのどちらかのタイプの花をつける。受精は短花柱花と長花柱花との間で起こるので、花型の異なる者の間で受粉しないと結実しない典型的な他殖性植物である。最も、時に自家受粉する場合がある… 花粉は短花柱花のそれは大きく、長花柱花のものは小さい。それらの二つの花型の花は虫の助けを借りて花粉を交換して受精するわけである。虫との共同作業はなかなか巧妙である。ソバの花は日の出とともに開花し、一時間ばかりすると雌しべの葯(花粉をつくる袋状の部分)が開くが、その頃になると虫が集まってきて、花被にとまり、中へ頭を突っ込んで蜜を吸っている。そして、腹や胸につけた他の花の花粉を柱頭の上にすりつける。虫が活動を終わる昼過ぎには雄しべの葯にのっていた花粉はほとんどなくなっている。(23)

 つまり、ソバの花には2種類あって互いに異なる花型(雌しべの長さと雄しべの長さが違う花)の花粉を虫が運んでこないと「適合受粉」しないのです。その結果…

 受精しないで花びらだけのもの、受精して子房が少しふくらんだだけのもの、半分くらいの大きさの実など、いろいろで、きっちり稔った実になるのは咲いた花の一割にも満たない場合が多い。虫は雨が降ると飛ばないし、風の強さにも影響される。気温が低くなると虫の動き出す時刻は遅くなる。(24)

 ほとんどの穀類がイネ科の単子葉で自殖性の作物であることに比べると、ソバはなんと効率の悪い植物だと思われるのではないでしょうか。これに加えて「無限伸縮性」というダラダラと伸び続ける性質や脱粒性・倒れやすさなどの「人間にとって困る」特性を多く持っています。ところが、こうした厄介なソバの性質は「ソバにとっては好都合」なのです。ダラダラ咲いていれば天候が悪くて虫が飛んでこない日が続いても、いつか「よい日にめぐり会う」こともあって受精できるということです。また、他殖性であれば「人間がその植物に適した環境をつくってくれなくても」少数でも子孫を残せる可能性があると考えられるのです。脱粒性は収穫に不便極まりない厄介な性質ですが、野生のイネや麦なども持っていた性質であり、子孫を残すための有利な性質です。
 野生のイネや小麦のように人間に「飼い慣らされない」野性味をもつソバですが、こうした弱点を補って余りある「人間に都合のよい性質」があるのです。

 ソバは温度が25度前後でふつうは3日で発芽し、その後は約3日で1枚の葉が出て、20日足らずでつぼみがつき、花が咲いて、約75日で収穫できる。 ソバは5時間から20時間の日長に感応して花芽ができて開花する植物であるが、その時間が短いほど早く開花する。…また、生育にも土壌を余り選ばない植物で、重粘土以外は生長に大きな影響はない。若干塩基性でも、強酸性土でも、ある程度の生育をとげることができる。…冷涼な気候に適していて、ふつうは6月の等温線が摂氏17度のあたりまで生育可能で、…病害や虫害にあうことが少ないので、栽培に手間がかからない作物である。また、ソバ畑に雑草が少ないのは、ソバが雑草の生長を抑える作用を持っているからだ。(30)

 ソバは自然界で確実に繁殖できる多くの能力をもっており、栽培植物としての効率の悪さがあるのですが、かなり厳しい環境でも着実に実をつけるという利点があるのです。ソバ畑に雑草が少ない理由は、生長速度が早くて葉が地表を覆うことで雑草の光合成を抑制するだけでなく、「アレロパシー」という雑草の発芽と生長を抑制する物質を根から出しているようなのです。これはセイタカアワダチソウがもつ性質と似たものと考えられています。

凶年に備えさせよ

 「朕は凡庸でおろかなまま皇位をうけ継いだので、自分にきびしくして、みずから勉めてきた。けれども誠意がまだ天に届いていない。このため今年の夏は雨が降らず、稲の苗は実らなかった。そこで全国の国司に命じて、人民に勧め割り当てて晩稲・そば・大麦・小麦を植えさせ、その収穫を蓄えおさめて、凶年に備えさせよ」(『続日本紀』、講談社学術文庫、1992年)と、養老6年(722年)の元正天皇の詔に登場する「そば」が文字に書かれた最初のものだそうです。ソバは旱魃(干害)に備えた救荒作物として、早くから奨励されていたことがわかります。

 開墾地はより寒い北へ、あるいは信州のような山国では標高の高いところへ広げられていく場合が多かったが、暖かい期間が短く、生育期間が短くても育つソバの性質は、それだけでも有利なものであった。また焼畑は戦前までは全国的に広がっていたから、山林の木を焼いてつくった焼畑の最初の作物として栽培された。…ソバの耐寒性はまた重要な形質であっただろう。 作物の栽培に肥料を施用するようになったのは江戸の中期頃からであるが、それはワタ、ナタネ、タバコなどの換金作物や野菜などにしか行き渡らなかった。…だから、肥料をあまり必要とせず、前に栽培した作物が吸収し残した肥料で育つというのは実に貴重な性質であった。(30-31)

 このように寒さや旱魃に強く、肥料もいらないソバはまさに救荒作物として優れた作物なのですが、いかんせん他殖性で虫の媒介が必要などと他の作物に比べて効率の悪さは明らかです。「未熟を含めても実になるものは20から30パーセントくらい」なのだそうです。それでも可能な限り多く収穫したいという工夫の中で注目されているのが、(地域に合った)種播きの時期です。岡山県には「すばるまんどきそばのしゅん」といういい伝えがあり、少なくとも80年以上も同じ日の同じ時刻にソバの種を播いているのだそうです。

 このようなちがいが出るのは、ソバが短日性植物で、日の長さが短くなると花芽が形成されるが、その日の長さに対する感じ方が在来種によって異なるからである。在来種というのはその場所に長く栽培され続けてきたために、そこの環境条件に適応していそれに適した性質を獲得してきているものなのである。これを「栽培生態型」と名づけているが、人びとはソバが他殖性で多様な遺伝的変異を持っていることをうまく利用して、その中からその地に適したものを選び、残してきたのである。(34)

 ソバの多様性がその地域にあった品種を定着させる条件となっていることは明らかですが、それが「日の長さ」であるというとことがこの作物の特徴です。だからこそ、播種の時期が大切で、毎年同じ時期に種を播くことが続けられるのですね。さらに、地方によっては年3回もソバは収穫できるようです。

 秋ソバと夏ソバという言葉をご存知の方々もあるだろう。夏ソバとは春に播種して夏に収穫するものを指し、秋ソバとは夏に播種して秋に収穫するものである。ソバの生育期間は約75日と短い。だから、遅霜の危険がなくなれば、播種をして秋の初霜までの230日あまりの間に3回とれる計算になるわけである。(35)

 「三度そば」が取れる地域は暖かい地域なのですが、「暑い時には稔りがきわめて悪い」のだそうです。もう一つ、ソバならではの面白い性質があります。ソバには脱粒性という厄介な特性が残っているとご説明しましたが、それを防ぐには「朝の湿っている間」に収穫するのが良いようです。とはいえ、雨が降る時期に収穫すると「稔ったまま発芽」してしまったり、乾かすのに時間がかかるため、独特な干し方をする地域(対馬地方)があります。それは「台風が来る前に、緑の葉が生き生きした状態で収穫して干して」おき、「葉ができるだけ太陽に当たるように干す」そうです。こうすると「干している間に葉は光合成をしてそれを種子に送り込むから、未熟の種子が稔る」のだそうです。葉が元気であれば刈り取っても光合成をして成熟するとはなんとも便利な性質です。
 また、ソバの栽培時期や方法、もちろん品種に多様性(地域差)があるのですが、やはり基本的な栽培方法は主要な作物栽培時期の「隙間に栽培可能な作物」であるという特性を生かすものです。これが「農地の不足していた時代」の、ソバのもっとも当たり前の栽培方法だといわれています。

「江戸患い」に効果のあった二八そば

 「vol.30 落語に出てくるご馳走のお話(下)」でも取り上げた「そば・二八そば」ですが、江戸っ子がなぜそんなにソバを食べるのかということについて「江戸患い(脚気)」との関係を指摘する説があります。

 ビタミンB1は精白米の飯に比べてゆでそばで約2倍含まれている。二番粉すなわち中層粉で最も多く、粉の種類によって含量は異なるが、とにかく、ソバ粉を湯で練ってそばがきで食べれば、粉100グラムで成人1日あたりの必要量の約4割をまかなえるとされている。江戸時代にそば切りが庶民の間にはやり始めた当時、江戸っ子の食べるものではなく、田舎からの出稼ぎ人が食べるものだといわれていた。それが江戸っ子にももてはやされるようになってきたのは、そば切りが「江戸患い(脚気)」に効くとわかり始めてからともされている。(157-158)

 江戸に住むなら武士であろうが町人であろうが、白米をたくさん食べてお腹を満たすのがステータスであったようです。いまのように多くの野菜や肉・魚のようなおかずはなく、味噌汁や漬物だけで白米ばかり食べれば、ビタミンB1不足で脚気になりやすくなりますね。その原因はなかなかわからなかったのですが、地方から出てきて自炊しない独り身の働き手がなぜか脚気にかからないということに気がついていたようです。その理由がソバ食にあると考えられました。確かに、ソバには多くの栄養があります。

 ソバ粉のタンパク質の量は10パーセントで、内層粉、中層粉、表層粉となるにしたがって多くなる。内層粉を除けば、その量はコムギ粉や精白米よりも多く、玄米よりも多い。ソバのタンパク質のアミノ酸組成の最大の特徴はコムギや米のタンパク質に比べてリジン含量がきわめて高いことである。リジンは米、コムギなどのイネ科の穀物には共通して少なく、それらにソバを混ぜると、双方の必須アミノ酸のバランスがよくなって、タンパク質の価値が向上する。 これは専門的にはタンパク価あるいはアミノ酸価といわれているが、卵を100とすれば、ソバ粉で74、コムギ粉で55、組み合わせによってその値は上昇する。…ソバ粉が8割を超えるとアミノ酸価は上昇し、コムギ粉による舌触りのよさから、二八そばはきわめて合理的な配合なのだそうである。(156-157)

 このほかに、食物繊維が白米の約2.5倍あって、体調調節をおこなう機能(3次機能)に優れているとなれば、ソバはやはり優れた食品であるといわざるをえないのではないでしょうか。
 最後に、いままで見てきた「普通種」とは異なる、自殖性のソバが登場します。「ダッタンソバ」です。

 花の形や色、種の形はちがうが、茎や葉はほとんどちがわない。自殖性だから収量も多いし、安定している。寒さや乾燥にも強い。問題は種の殻がとれなくて苦い味がするのでニガソバとも呼ばれている。なぜ日本に栽培されなかったのか、私には大きな疑問である。「おいしくないから」とお考えになるだろうか。人間の肉さえも食べたという記録の残る江戸末期の大飢饉をはじめ、常に飢えに苦しんできたのは日本人でも同じであったのだから、単に苦いからというだけでは、栽培されなかった理由の説明にはならないのではないだろうか。(49)

 「ダッタンソバブーム」を経てすっかり定着したダッタンソバですが、世界には実に多様なソバ料理(第三章 世界のソバ食文化紀行)があり、ソバといえばそば切り一辺倒に思える私たち日本人のソバとの付き合い方はまだまだ入り口に過ぎないのかもしれません。

朝岡 幸彦(あさおか ゆきひこ / 白梅学園大学特任教授/東京農工大学名誉教授)

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