大学生の食育レポート

[アドバイザー]
東京農業大学 応用生物科学部
栄養科学科 保健栄養学研究室
日田 安寿美

Vol.32「食の力」

東京農業大学応用生物科学部栄養科学科 山口麻衣

 人は何のために食べるのでしょうか。
「それは、生きていくため」というのが答えのひとつでしょう。
生きていくためには、人は食べて体外から栄養を摂取していかなければいけません。
そして、食と疾病との関係が研究された現在では、日々の食事が健康を大きく左右することが知られています。 つまり、食べること、食事をすることは生命や健康維持に欠かせないということが言えます。
 しかし、私は食にはもう一つ大きな役割があると思います。それは、人種や文化の違いや言葉の壁を越え、人と人を繋げることができることです。
 一年間のミシガン州立大学への交換留学では、世界中から来た学生に会い、常に異なった国籍の人と共に過ごしていました。そこにはいつも文化や習慣の違いが存在し、時には戸惑いや誤解が生じますが、食事は互いの文化や習慣を知り、そして相手の国を知っていく上で大きな足がかりとなりました。逆に自分の国の文化や習慣を発信していく場でもありました。食を通して相手のことを知った経験と私が日本の習慣や文化を発信する側となった経験を一部紹介したいと思います。

 留学中、食事は寮のカフェテリアで食べることがほとんどですが、息抜きをかねてキャンパス外のレストランへ行くことがありました。タイ人の友人が「本物」というタイ料理のレストランへタイ人、アメリカ人、ブラジル人の友人たちと一緒に行った時のことです。(アメリカには様々な国籍のレストランがありますが、「アメリカナイズ」されていることが多く、オリジナルとは大きく違うということがよくあります。)
 タイ人の友人が全てオススメの料理をオーダーし、簡単に料理を説明してもらい、皆で食べ始めました。料理はとても美味しく、喜んでいたところですが、中にはとても辛い料理もあり、汗(人によっては涙)が止まらなくなりました。しかし、皆で辛いといいながら食べている横で、タイ人の友人は顔色を全く変えず、美味しいといいながら食べ続けています。そして、全く辛くないと言い、何か物足りなそうです。タイ人が辛いものをよく食べることは知っていても、私の想像をはるかに超えており、タイ人の「本当の」食生活を垣間見ることができた貴重な経験でした。
 また、アメリカ人の友人は辛さだけではなく、頭がついた魚が出てきたことに絶句しており、さらに、料理と一緒に一人一人に出された茶碗一杯ほどの白米をどう食べてよいかわからず戸惑っており、同じ食事に対しても反応が様々で非常に興味深い経験でした。

アメリカナイズされた日本食例 <アメリカナイズされた日本食例>
カニかまのサラダ、キュウリが具の巻きずしと日本と同様の握りずし。 このほかニンジン入りの巻き寿司がありました。


 先に述べたとおり、大学近くにも「アメリカナイズ」された日本食レストランがいくつかありました。寿司やうどん、カレーなど、美味しい料理もたくさんあり、アメリカ人やメキシコ人など多くの友人が日本食を好んでいました。日本食を好んで貰えることはとても嬉しいことですが、私は心のどこかで「本当の」日本食を知ってもらいたいと感じました。寿司もうどんも日本を代表する料理かもしれませんが、決して毎日食べる料理ではないからです。焼き魚にお味噌汁、茶碗一杯のご飯と小鉢に入ったきんぴらごぼうやひじきの煮物などの副菜がそろった「一汁三菜」の日本の食事を知って欲しいと思ったのです。
 寮にはキッチンもありませんし、材料も手に入らないので、日本から親に送ってもらったインスタントのご飯とお味噌汁、煮魚ときんぴらごぼうなどの缶詰をアメリカ人、ブラジル人、メキシコ人の友人と共に食べることにしました。初めて食べる日本の料理に対して彼らがどう反応するか楽しみでもあり、不安でもありました。結果的には私が思っていたよりも興味津々で、美味しいと言いながら食べてくれました。始めは白米をどのように食べたら良いかわからず戸惑っていましたが、魚や他の料理をご飯と一緒に食べるということを教えたところ、私たちと同様に食べることができていました。
 彼らがそれらの料理を気にいるか気に入らないかは別の問題として、私が当たり前のように日本で食べているものを異なる国の人と共有できたこと、そして食についてだけではなく、自分の言葉で日本について伝えることができたということは留学中のかけがえのない体験になりました。

日本食の試食 煮魚やきんぴらごぼう、ヒジキの煮物などを食べている友人たち


 食がきっかけとなって、相手を知ることが出来ること、または興味を持てるようになること。食はただ単に生命を維持するだけではなく、人種・言葉という大きな壁を超え、大きな架け橋となること。」

 それを強く確信した今、1日3回の食事がより一層愛おしく、欠かせないものと感じます。この先、どんな道に進んでも、私はこの経験を老若男女問わず、より多くの人に伝えていこうという気持ちがさらに強くなりました。