食育レポート

東京農業大学 応用生物科学部 栄養科学科
栗原 美幸


アドバイザー:東京農業大学 応用生物科学部 栄養科学科 保健栄養学研究室 日田 安寿美


私は、栄養士になる前に食べ物が作られる現場を知りたいと思い、一年間大学を離れて農のある暮らしを体験してきました。思いをあと押ししてくれたのは、NPO法人地球緑化センターが提供するプログラム「緑のふるさと協力隊」です。行った先は、徳島県で唯一の村である佐那河内村(さなごうちそん)。村はいわゆる中山間地域で、関東平野という平らな土地で暮らすことが当たり前のようになっていた身としては、すべてが新鮮な環境でした。この土地での生活で、知らないことがまだまだたくさんあるということを学びました。

ばら寿司

ばら寿司 : 地元の言葉でちらし寿司のことを「ばら寿司」といいます。地物の食材がたくさん入っていて、とてもおいしいです!ゆず酢の香り、いりこ(煮干)のうま味がきいています。

村では一年を通して農業を主体とした活動をしていましたが、学んだことは「農業」だけではありませんでした。集落という共同体のなかに浸って暮らすので、人々が協力して生活してきたことや、その関係が長い年月を経て築き上げられたことを感じ取ることができました。まだ機械化が今よりも進んでいないとき、あらゆる作業において人の手が必要とされていたとき、個人の力では解決できないことも多く、人々は生きるために協力していました。「困ったときはお互いさま」という精神が生まれた理由がわかる気がしました。

自然を相手にする生業は人間の思う通りにはいきません。農作業を通じてそのことを強く感じました。農業では、植物あるいは動物が健全に育つように人は手を加えるだけ。自然の力を最大限に生かすくふうが農という行為なのだろうと思います。恵みを与えてくれる自然に対して持つ感謝の気持ち、自然環境の良いところも悪いところもひっくるめて受け入れる寛容なこころ。行為が水の泡になったときはがっかりして力が抜けるけれど、また気持ちを切り替える前向きさ。生業は人間の気質にも影響するようです。

棚田の風景

棚田の風景 : 佐那河内村の棚田で採れるお米はその昔、献上米になったといわれています。育てるのには苦労するけれど、棚田は里山の風景を形成する機能も果たしています。

農のある暮らしを通して、本来あった姿であろう“自給自足的な農業”を思うと同時に、経済社会に農業が組み込まれて生じた課題も考えるようになりました。「市場作物の値段は消費者がつけるもので生産者はつけられない」という生産者の方の声を聞きました。肥料、資材などの経費をかけた農産物の対価として、生産者の手元に戻ってくるのはいくらになるのかわかりません。農作業をする一日一日が、最終的に“せり”という勝負に賭けられているように感じられました。また違う視点で感じたことですが、農産物はせりにかけられた時点で、換金できる“商品”になったような気がしました。

現在のフードチェーンは、豊かな日本の食を支える重要なものだと思います。しかし、規模の大きさゆえに畑から食卓までが離れてしまったことを強く感じます。生産を知らない消費者は、商品を選択するとき何を基準にするか迷い、判断しやすいという理由から見た目で選んでしまうかもしれません。その傾向を流通の立場にある方がキャッチして生産者に情報提供するでしょう。見た目の良いものを消費者が求めていると聞いた生産者は、消費者が希望する商品を供給するための手段として農薬を使うかもしれません。農薬使用が望ましくないとしても市場が求めるのなら仕方がない、見た目を気にしない自宅用の野菜には農薬を使わない、そんなことを聞きます。何が本当にいいもので、求められるべきものなのかがわかる状況があるべきだと思います。ビジネスはニーズがなければ成り立たないことは確かで、消費者本位の考え方も大切だと思います。しかし、食が自分たちのいのちにかかわるものである限り、どこかの立場を重視する姿勢ではうまくいかない気がします。もっとお互いにコミュニケーションがとれる仕組みを築いていくことが、全体的な幸せにつながると思います。異業種の間で連携が進んでいる話を聞きますが、食の分野でもより良いフードチェーンを創っていければいいと考えます。

キウイフルーツ畑

キウイフルーツ畑 : 収穫をひかえたキウイフルーツです。収穫作業はすぐにできてしまうけれど、そのときのために一年を通して世話しています。木で熟したキウイフルーツはとても甘いです。

ものを生み出す場となっている農山村ですが、生活様式が変化するに従ってその様子が少しずつ変わってきているようです。徳島県の村のほかにも山間地域を数カ所訪ねたのですが、農業に従事する人たちの多くは年の大きい人であり、このままいけば農業に携わる人は必然的に少なくなるでしょう。農業従事者の減少と、過疎化も無関係とはいえません。遊休農地や耕作放棄地が増えて、農地は自然に還ろうとしています。このことは、自分たちの身体をつくる素になる食べ物を生み出す場所が減少していることと同じだと思います。歴史をひもとくと、人口増加を支えるための農地開拓に政府は積極的に取り組んできたようです。今現在、食料自給率の低い日本を支えるのは自国ではなく諸外国となっています。世界飢餓人口が10億人近くといわれる現状で、先進国といわれる日本がほかの国に依存しすぎることは適当とはいえない気がします。誰がどうこうというわけでなく、それぞれが目の前にあるものがどうしてあるのか興味を持てるようにすることが大切になっていると思います。食卓にのぼる料理は、もとをたどれば田んぼや畑で採れたものであり、それらは自然の恵みということ。その恵みを食べて生きているということ。身近にあるものが、たくさんのこととつながっていて、それぞれにかかわっている人の思いが込められていること。知るうえで実体験は大切だと思います。知識として知っているのと体感して知っているのではまったく異なると、自分の体験から感じたからです。自分の五感を働かせることで、かたちには表されないけれど大切なものが見えてくると思います。

こども自然体験

こども自然体験 : 村には川遊びができる清流が流れています。この日は徳島県内の学生がスタッフとなって村内の小学生と一緒に自然体験しました。

食育はお金にならないかもしれません。しかし、元気な社会を築くためには必要なことだと思います。心身ともに元気であってこそ、やりたいことができるからです。食べることは生きるために必要なこと。それはいつの時代も変わりません。今時点の食を支える横のつながり、また今まで引き継がれてきた縦のつながりを意識できる取り組みが、食育としてできるのではないかと思います。

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